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三島由紀夫、死の一週間前の対談 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



自決の1週間前の昭和45年11月18日、文芸評論家の古林尚(ふるばやし たかし)を相手に三島由紀夫が語った音声を聞いた。「自分には無意識はない」と書き、かつて自分自身のすべてを意識的に統御できると主張した三島がやや興奮しているように感じられる。

日本には絶対者が必要だ。歴史的に日本人には絶対者があったはずだ。絶対者が構成する秩序がなければエロティシズムは成立しない。日本はケという日常が支配的になり、ハレがなくなったため、エロティシズムがなくなった。究極的なエロティシズムは、ジョルジュ・バタイユの主張する、死を通じて達成される。自分の文学はそのようなエロティシズムを追求している。ただのフリーセックスには興味はない。カトリックは非常にエロティックな宗教だ。戦後の天皇制は、穀物神としての絶対主義的な部分を削ぎ落としてでっち上げられたもので、政治的に利用されるシステムになった。その点で天皇を政治利用している、自民党も社会党も共産党も気に入らない。共和制も相対主義に堕している。楯の会は政治利用されないし、自分も政治利用はしない。

そんな感じのことを三島は死の直前に語っている。私はその時代を生きたわけではないので、三島の抱えていた問題を共有できない。30分ほどのインタビューを聞いた後に残ったのは強烈な違和感だけだった。三島は共和制を完全否定し、民主主義は逃避であるという考え方を持っている。それ自体、私には自民党的な政治観であり、かつ彼らに利用される隙(すき)を与えているように思える。