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私も「新型うつ病」かも [雑感・日記・趣味・カルチャー]

もう、職場に行くのが息苦しい…甘えとは違う「新型うつ病」に理解を深めて! | CHANTO

私も「新型うつ病」なんじゃないかと思います。

「気分が晴れない」
「ささいなことで泣きたくなる」
「自分を責めてしまう」
「やる気が起きない」
「家から出たくない」
「消えてしまいたい」

これらすべてが私の症状に当てはまります。家の中には不愉快な人がいるので、家にもいたくないくらいです。いっそのこと、この世から消えてしまいたいです。生きていても何も楽しくないし、苦痛なだけです。

ある人に常態ではない症状が見られるときに、たいていは、その人個人の問題として見ます。その結果、原因は患者の中にあるという前提のもとに、患者を責めることが多いようです。かつて、それを「甘え」と呼び、「鬱になるのは幼稚だからだ。大人になれ。成熟しろ。鬱になんかなっている暇はないんだ。」と偉そうなことを言う人もいます。

そういう無神経な人はたいてい、「頑張れ、頑張れ」と励ますことが癖になっています。「すでに私は頑張っているんですけどね。あなたは私が頑張っていないとでも思っているんですか? わざわざ私に向かって『頑張れ』というのは、私が頑張っていることをあなたが認めていないということですよ。」と感じて、自分の努力を否定されたかのように感じ、ますますやる気を失っていくのです。

これは構造的な問題です。私が存在する環境が変われば、私の性格も言動もなにもかも変わるはずです。環境によって、個人の性格は形成されるのですからね。

この考えは、英語のnatureとcharacterの違いを知ればわかるはずです。natureは生まれながらに受け継いだ性質(神が作ったままの状態)のことで、characterは環境によって刻み込まれた性質のことです。キャラクターというのは、作家が作り出す登場人物でもあるし、文字でもあるので、この違いはおわかりいただけるでしょう。

周りの環境が私に都合の良い方向に変われば、私の性格も症状も変わるのは間違いありません。当然、悪い方向に変われば、症状は悪化します。これまでの経験から考えると、悪い方向に変わっても、良い方向には変わることはないでしょう。

「甘え」という概念を持ち出して、うつ的傾向を示す個人を非難する人たちは、個人は自立・自律すべきとの先入観があります。個人が自立することなど、人里離れた山村で外部と接触することなく単身で自給自足の生活でも送っていない限り、ありえません。人間は何らかの形で他者と関わりを持たなければ生きていけないのです。他者に依存する状況が通常の状態です。それを否定するということは、人間の在り方そのものを否定することになります。

ありもしない幻想の状態を理想として、環境に馴染めない人を、批判するような傲慢な人がいなくならないと、この構造的な問題は、解決しないでしょう。薬を飲んで解決すると思っている人もいますが、アベノミクスのカンフル剤と一緒の発想です。改善は一時的なものです。国民の年金を勝手に持ち出して、株価を買い支えしても、資金が尽きれば、その時点で終了です。環境や構造や発想がいっさい変わらないのですからね。