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三島由紀夫の声(最後の対談 後半) [雑感・日記・趣味・カルチャー]



対談そのものは面白いのだけれど、私は同時代に生きた者ではないので、話の脈絡がつかめなかった。

今後の小説の構想を聞かれて、三島が「『豊饒の海』の後の小説のプランは何もない、もう疲れ果てました」と笑いながら答えている。自決の直前であることを知っている我々にとっては、不思議な感覚を覚える。死を覚悟した人は、悲観的でありながらも、なぜか明るく、朗らかなのだ。

二十歳のときに敗戦を迎え、遺書を書いたが、そのとき以来25年もの間「余生」を生きている感じ、生き残ってしまったという感覚が消えない。あのときの遺書はまだ生きている。だから、ほんとうに死ぬときには改めて遺書を書く必要がない。

日本には、内発的な革命が起きない限り、ほんとうの革命は起きない。革命が起きないのは天皇制があるからなのか、革命がないからこそ、天皇制があるのか。鶏と卵の議論のように、因果関係はわからない。共産党は、西洋的な理知主義で革命を果たそうと画策しているが、それはありえない。

そんな感じの話であった。

平成がもうすぐ終わるが、いまは元号が変わることによるビジネスチャンス(商機)として天皇制をとらえている人が多い。「平成最後の云々かんぬん」という言葉が流行語になっているほど。

三島が生きていたら、天皇制という制度そのものを考えるチャンスとしてとらえたのだろうが、現代人はお金に目がくらんで、自分が乗っているお釈迦様の手のひらが見えなくなっているのだ。

これもまた日本人の劣化の証拠の一つだろう。