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言語はツールにすぎない? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「自助」と「自己責任」と「自業自得」|安田菜津紀(フォトジャーナリスト)

生活保護受給資格のある人たちを死に追いやる俗に言う「水際作戦」が大衆の知るところとなれば、自治体の担当者は憲法違反の人権侵害であるだけではなく人殺し同然の対応をやめざるをえません。その前に、「自助」を優先するような考え方が間違っているということを国民が理解できるように、国のリーダーが言葉で説得しなければいけないのですが、菅総理は自民党の国会議員の典型ですが、自己責任・自助・自業自得推進派ですから、まったく期待が持てません。

菅首相の“愚策”で、じつは“数十兆円”という「国民の税金」がドブに捨てられる…!(中原 圭介) | マネー現代 | 講談社(1/6)

菅総理が導入した「ふるさと納税」の考え方そのものが、時代遅れの新自由主義的な競争原理ですから(平和なときはそれでも良かったのでしょうが、緊急事態ではその考え方は共同体の崩壊につながります)、私も中原さんと同様に直ちにやめるべきだと思っています。背に腹はかえらないので、「短期的な利益を得るために」、1万円だけは利用させてもらいました。しかし、そんなことを続けていれば、回り回って自分が暮らす自治体の歳入が減り、自分が受けられる市民サービスが悪化するし、売り物のない疲弊した地方自治体はますます疲弊するので、最悪の税制度だと思います。税制度に競争原理を導入したり、消費税を社会保障に回したりするようなことは、どこの国でもやっていません。あまりに異常な政策であることを国民はまだ知らないようです。

これまた菅総理が前倒しで強行し、コロナの感染拡大とともに後手後手で停止せざるをえなくなったGoToキャンペーンもひどすぎますね。なぜ飲食店と旅行業界だけを優遇するのか。その理由もいまだに説明されていません。さらに、GoToが感染拡大の原因ではないと主張するわりには、不要不急の外出を避けろとか、飲食店の感染の危険性ばかり政府は煽ります(マスコミの方ではありません)。政府は言っていることとやっていることが完全に矛盾しています。しかもどんな失敗をしても「適切な対応だった」と言って決して自分たちの過ちを認めません。「適切」の定義、基準も示さず、赤信号を強行突破しています。それをたしなめるジャーナリストもいません。国民も無能すぎます。「不要不急」ってなんだよ。ムカつくなあ。

高橋洋一氏は、菅総理が言葉で国民と野党を説得できないことを棚に上げ、「そんなものはポエムに過ぎない。しっかり政策を実行していることを評価すべきだ」と元官僚らしいコメントをしています。その考え方がグローバルスタンダードの基準から大きく逸れていることを知らないわけがないので、苦し紛れの政権擁護論にしか思えません。

政治というものは、有効な政策の立案能力だけではなく、それを実行に移すために国民を結束させる「言葉の力」が必要なのです。官僚が作った政策を実行に移すのは政治家です。民主主義国家の政治家は権力を使って国民を黙らせて(従わないものには罰を与えて)、その政策を実行に移すわけではないのです。スピーチが下手すぎることは、政治家にとって致命的です。

「言語はツールにすぎない」という大いなる誤解 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

英語学や教育学系の英語教師たちと話すと、まずそこが対立のポイントになります。彼らは言語なんて、意思疎通のためのツールに過ぎないのだから、基本的には通じれば十分、という考えです。「通じる」という言葉の定義もしないまま、彼らは仲間内で「そうだよね」と納得しあっています。

私は文学畑の人間ですから、その考え方にはまったく与しません。小説を読んだり、映画を観て、言語というのは意思疎通のツールにすぎないという考えに説得力を感じる人なんているのでしょうか。言語の価値というのはそれだけではありません。苦難を乗り越える力や生きる気力を与えてくれたり、苦しみを慰めてくれる力や、他者と協力していこうという気持ちにさせてくれるような力もあります。コロナ禍でその力を再確認できた人も多いと思います。

一方で、「論破してやった!」だのとドヤ顔で相手の考えを完全否定し、人格さえも貶めるような暴力的な力も言語にはあります。「不要不急」という言葉からもわかるように、人間を必要な人なのか、不要な人なのかを選別する暴力も秘めています。衆愚を煽動して、連邦議事堂を襲わせて、対立する議員を大量虐殺しようとするために言語を使った犯罪者もいます。ことほどさように、言語は意思疎通のためのツールだなんて、そんな単純なものではないのです。とはいえ、「これからの時代、英会話が大事」だなんて馬鹿の一つ覚えのように唱えている人たちには、私の言葉なんか、ただの空言・空語・虚言・妄言にしか聞こえないのかもしれませんが、言語というのは意思疎通のツールにすぎないという考え方で我々の社会は維持できるのかどうか、改めて考え直してほしいと思います。

今日は、シラバスを作成するのと、3クラス分の課題(締切は今日の深夜ですが)をチェックする仕事をする予定です。明日以降は、今学期の成績をつける仕事するつもりです。さっさと仕事をおらわせてすっきりしたいです。それが終わったら、どこかに自費でGoToしようかな。

追記(9:23):シラバスの作成が終了しました。今朝から頭痛がします。今日は左側の後ろ当たりに痛みを感じます。土曜日に次男が頭が痛いといって学校を休みましたが、今度は私のほうにうつって来ました。おまけに喉も痛いのです。これは喉の奥に硬いものが突き刺さって、血豆ができ、その後化膿したためです。コロナではありません。この症状に3日も悩まされています。明日には治りそうですが、まだ食べ物を飲み込むときに痛みを感じます。

犬の散歩から帰ってきたら、郵便受けの上に、柊の葉っぱを束ねたものが置いてありました。毎年近所の農家のおじさんが節分が近づくとこの魔除けを置いていってくれるのです。今年はとりわけそのありがたい気持ちが身にしみます。今年の節分は2月3日ではなく、2月2日になるそうです。近所のスーパーに行くと、入り口付近で繰り返しアナウンスされています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/節分

2月4日だったこともあるとのこと。驚きです。節分というのは冬と春を分けるお祝いのようなものですが、実際は、太陰暦なので、春が来るのはあと1ヶ月先ですね。今朝は霙(みぞれ)が降るほど外は寒いです。犬の散歩中、霙に見舞われました。旧暦の大晦日は新暦では2月11日の建国記念の日になります。旧暦の2月2日は新暦では3月14日です。

今年の「節分」は2月2日…実は124年ぶり!なぜ?(HBCニュース) - Yahoo!ニュース

面倒ですが、これから学生の課題の採点を始めようと思います。