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本当の緊急事態とは? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

茂木健一郎「学校へ行きたくない子は、脳科学的に学校へ行かせるべきではない」 それは「脳が出した答え」である | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

私も子供の頃学校が嫌いでした。勉強は好きだったのですが、発表会とか運動会(体育祭)とか文化祭とか合唱コンクールとか卒業式とか意義がわからないイベントとその練習が大嫌いでした。意地の悪いクラスメートとかと会うのが本当に嫌でした。

当時、ホームスクーリングが認められていれば、学校に行かずに済んだかもしれません。いまだに学校の催し物はなくてもいいと思っています。ふつうは、振り返ってみると、あれは意味があったんだなと思うものですが、やっぱり全部いらないなあ、と思います。全部やらされている感じがして、全然楽しくないんですよ。先生も文科省も、こういうことを子どもたちにさせれば、楽しんでくれるだろうという思い込みから抜け出せないのかもしれません。私が求めていたのはそういうことではないのです。私は小中までクソみたいな教育にあきれて、地元の進学校に進学しました。そこはほんとに自由でした。制服もないし、決まりきった行事もないし、クラブ活動も強制ではありませんでした。修学旅行は自分たちで決めることになっていて、高校2年のときはクラスのみんなと富士山に登りました。あれは本当に素晴らしい思い出でした。小中の行事なんて、みんな忘れてしまいましたが、富士登山だけは一生の思い出になっています。

「人間の感情が消える」“オンラインライフ”が大学生たちに影響、多くの悲痛な声

自分の教え子の学生たちの生の声をここ数日読んでいるんですけど、ある女子学生がこう書いていました。ツイッターでは大学に対する暴言が溢れているけれど、私はオンライン授業のメリットを理解し、自律的に思考し、行動することの重要性を学びましたと。そういう学生が大多数でした。数名ですが、文面から、いまだに苛立っているな、と思う学生がいましたが、9割の学生は、与えられた環境の中で、精一杯頑張っている様子が伺えました。大学が悪いわけではないのはわかりきったことですからね。彼らの文章を読んでいて「人間の感情が消えた」人なんてただの一人もいませんでした。しかし、知り合いで、コロナ鬱になってしまい、ガリガリに痩せこけて、気力をすっかり失ってしまった人がいると書いていた学生がいました。うちの息子なんか20キロくらい体重が増えたようですが、それとは対照的です。人それぞれですね。率直に言わせてもらいますが、学部や学科によっても、偏差値によっても、意識が違うことは以前からわかっていましたが、偏差値が高い人たちは、この状況でもしっかりした考えをもって冷静に暮らしていたことがわかります。はっきり言って、寛容さを失って他者を攻撃するタイプは、知性のレベルがきわめて低い人達なんでしょう。偏差値の高い大学が就職率が高く、低いところは低い理由は明確だと思います。攻撃的になる人は、自律的に学問をする習慣を身に着けていなかったのだと思います。

小島慶子さんが大学のゼミで思った「相手を論破するよりも」大切な事

どっちが正しいか、どっちが正解か、どっちが勝ちか、みたいな対立の構図で物事を捉えるような人ばかりですが、小島さんは若い頃に外国人と接して、その価値観がぶっ壊されたそうです。私も同じような経験をしているので、安倍元総理やひろゆき氏や堀江貴文氏のような相手を「論破」するなんて、幼稚なことは絶対に言いません。

【非常事態宣言下の感染管理】知性に対する信頼があるからこそ、ヒューマニティーに対する信頼の土台が生まれる《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㊽》 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

政権与党のことをちょっとでも批判すると、お前は左翼だというレッテルを貼る反知性主義者がいます。要するに、バカという意味ですけどね。この民主主義社会は、いろんな人が知恵を出し合って、協力しながら、よい社会を作っていこうという前提のもとに成り立っています。その前提の土台が知性です。それを否定するバカはすぐに対立の構図で捉えます。右翼と左翼というような陳腐な図式に落とし込むのです。ヤフーニュースのコメント欄を30秒眺めたら、5人のバカを見つけることができるほど、どこにでもいるのです。世の中はそんな単純ではないことに、いい年して気づかないのでしょう。そんな、単純な正義と悪のような二元論でしか物事を捉えることしかできない人が減らない限り、ヒューマニティーは存亡の危機から脱することはできません。これが本当の緊急事態なのです。

コロナワクチンを訝る人に知ってほしい大問題 | 新型コロナ、長期戦の混沌 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

学生の一人は、世の中の人たちはみな自己中心的なんだと気づいたと気づいたと書いていました。文面から、悲しさが伝わってきました。悲しいですね。