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戦後日本復興期の貧困と生命力を鋭くえぐるドキュメンタリー映画「スラム」を科学映像館が無料配信 | Buzzap! [雑感・日記・趣味・カルチャー]

戦後日本復興期の貧困と生命力を鋭くえぐるドキュメンタリー映画「スラム」を科学映像館が無料配信 | Buzzap!

1961年のドキュメンタリー映画『スラム』が無料公開されています。私が生まれた地域にも昭和40年代には同じような地区がありました。かつての炭鉱労働者が住んでいた「炭鉱住宅」というものです。おそらく平成の始めの頃まではあばら家同然の姿を晒していたと思います。山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』の倍賞千恵子が刑に服す夫(高倉健)の帰りを待ちながら住んでいた家もそうだったと思います。

この『スラム』を見ると、日本が高度経済成長を果たしたのは、政府主導の社会主義的な政策が大いに貢献したことが明白であることがわかります。池田勇人、佐藤栄作、田中角栄が総理大臣だった頃までの話ですが。

スラムの暮らしは、古い日本映画ではよく見る風景です。日本の原風景を知らない若い世代は、大いに衝撃を受けるかもしれません。

役人の目線で描かれるスラムはあまりにも劣悪です。大小様々な違法建築の棟割長屋が乱立し、家々がドブ川の上まで染み出しています。それそれのボロ屋には数世帯の住民が薄い壁1枚を隔てて暮らしています。家の壁にはぽっかり穴が空き、屋根の重みで時折家が崩壊するところもあります。便所と台所は隣同士で、よそ者だったら鼻をつまむくらいの強烈な臭気の中で住民たちは平気な顔をして暮らしています。子供は道端で大便を新聞紙の上にひり出し、犬がそれを食い逃げしようとしている様子も映し出されています。便所は床に穴が空いただけの作りになっており、地面に溜まった糞便は雨が降ると道に流れ出していくのです。

当時の政府は、このような劣悪な環境に住む人々を「改良住宅」というコンクリートの団地に移住させ、文化的な生活を送らせることが、日本の発展につながると考えていたようです。それがこのドキュメンタリー映画でははっきり映し出されています。スラム街を破壊する労働者もスラムの住人で、その跡地に改良住宅を建設するのも同じ人々であるというのが面白く感じました。私の祖父も地方の役人として、貧民たちの暮らしを改善する啓蒙活動をしていたので、スラムの住民目線だけではなく、同時に役人目線でも見ることができました。

映画の中では触れられていませんが、おそらくスラムの住民の中には在日朝鮮人が多く含まれていたと思います。彼らは日本人として日本の戦争に参加して、敗戦後、「お前らは朝鮮人なのだから、韓国や北朝鮮に面倒を見てもらえ」と無慈悲に打ち捨てられた人々でしょう。川口を舞台にした『キューポラのある街』という吉永小百合主演の映画でも見る風景です。こういう日雇い労働者の姿を、小説家の中川健二や立松和平が活写しています。若い頃に読んだときには、ああいう世界があることを全く知らなかったので、すこぶるショックを受けた記憶があります。

音楽はオノ・ヨーコの元夫である一柳慧と、天才ピアニストの高橋悠治です。映像を見ても驚かなかったのですが、最後にそのクレジットを見て驚きました。通りで異様な音楽になっているわけです。

こういうのを見ると、小津安二郎監督の作品に出てくる同時代の人々が、これと対照的に、中流以上の豊かな人々だったかがわかります。住んでいる世界が全く違います。沖縄出身の詩人である山之口貘も若い頃東京でし尿の汲み取り屋の仕事をしていたそうですが、同じような環境で暮らしていたのでしょうね。これもまた日本の原風景です。


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