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カヌーイスト・作家の野田知佑さん死去 84歳 愛犬「ガク」と各地を旅 著書「日本の川を旅する」など [雑感・日記・趣味・カルチャー]

カヌーイスト・作家の野田知佑さん死去 84歳 愛犬「ガク」と各地を旅 著書「日本の川を旅する」など

コメント欄に仲間をたくさん発見し、うれしくなりました。

私の原点の一つは野田知佑さんの『日本の川を旅する』です。新潮文庫だったかな。「川内川」と文字を見て、瞬時に「せんだいがわ」と読めるのは、野田さんのおかげです。

冗談はさておき、私が野田さんの本に出合ったのは高校生の時。野田さんの旅のスタイルに憧れて、私も折り畳みのカヤックを背負って、世界中の川を下る旅をしたいなんて思いました。とはいうものの、現実はそんなに甘くなく、バス釣りボートに乗りましたが、いまだにカヌーを漕ぐことさえできていません。

野田さんは川をのんびりと下りながら、小さな竿で魚を釣ってそれを食べ、ペーパーバック(早稲田の文学部の二部を出ているので、英語の小説ですが!)を読んで、読み終わったページを片っ端から焚火に入れて、荷物を軽くしていくと書いていました。ある意味、現代のミニマリストですね。

また、私は野田さんの自然観にも影響を受けました。スギの植林が日本の自然を貧困にし、魚の住めない川をたくさん作ったんだ。川は落ちたら危険だからと言ってコンクリートで固めまくり、それが土建業者と政治家の利益になる。治水の行政としては正しいこともあるけれども、本当にそのやり方で良いのか。こんな野田さんの自然観が行政に積極的に活かされることはないかもしれませんが、作家として活動していた40年強の期間で人々の意識のほうは少しずつ変わってきているように思います。少なくとも私の意識は変わりました。

とはいえ、洪水があるたびに、川の流れが変えられて、コンクリートでガチガチに固められ、また臭い物に蓋をするかのように暗渠にする工事が行われ続けています。

熊本のどこかの川にダムを造ることに反対していた知事さんがいました。あの知事さんは野田さんの考えを取り入れていたのかもしれません。しかし、台風の結果、洪水が発生し、多数の人々が被害を受ける大災害になってしまい、マスコミに批判され、ダム建設にGoサインを出す羽目になったというニュースがありました。あのニュースは再度、ダムが洪水対策に効果的であると考える人々の意識を強化してしまいました。

おそらく「脱ダム宣言」を発した長野県知事の田中康夫氏の自然観も野田さんの影響のもとにあるのだと思います。ダムには寿命があるし、いずれ砂が溜まって使い物にならなくなり、壊すにも膨大なお金がかかる。だったら、定期的に川の浚渫をし、水深を確保したほうが安全だし、コスパもいいし、ゼネコンを儲けさせる巨大なダム建設とは違い、地元企業を潤すことになるという考えなのですが、世の中ではそういう事情が理解されていません。洪水があるたびに、コンクリート行政に竿を差すような、というかパドルで漕ぐようなことを書き込む人が圧倒的多数です。もっと川を固めろ、ダムを作れと。馬鹿の一つ覚えのようです。

それではますます人と川の距離が遠ざかってしまう気がします。東日本大震災のときに津波があった海岸では、恐ろしく高い堤防が建設され、近づいても海がまったく見えない、エキセントリックな状況になっています。それは逆に危険ではないかと思います。政治によって、川も海も山も破壊され続け、殺伐とした風景になっています。実のところ日本には自然はほとんど残っていないのです。

多摩川でもそうですが、川幅は広い割には、水はちょろちょろです。あんな推進ではカヌーどころか笹船しか流せません。ところが、ひとたび大雨が降ると、川幅いっぱいに土砂の混じった真っ黒な水があふれんばかりに流れます。ふだんとはまったく違う風景に恐怖心すら覚えます。土砂が流されていくのは、山が崩れているという証拠です。それはスギが地面に根をしっかり張っていないので、土を抑え込んでいないということです。その結果、土砂崩れが発生し、川に流れ込むのです。ますます、山がやせ細ります。また、スギ山に流れる川には魚は住めません。大量のスギから出る物質が川を魚の住めない場所にしているのです。

もちろん、野田さんの自然観が活かされているようにも思える川はあります。しかし、土手に背の高い草を生い茂らせて、人が川に近づかないようにしているだけのように思います。野田さんの考える治水行政とはまったく違うんじゃないでしょうか。

物言えば唇寒し、ではないですが、私がそんな話をしても、変な奴と思われるだけなので、周りにこういうことを話す機会はありません。どうせ話しても、スギ畑の人工林を自然林だと思い込んでいる人ばかりです。いつから植物=自然というのが日本人の自然観になったのでしょうね。野田さんや私の考えが分かってくれる人は、釣り人だけかもしれません。


「若者がすぐに会社を辞める」問題が日本だけの被害妄想だといえるワケ

古来、日本人に限らず、人間というのは、転職・転社するのがデフォルトであって、日本人が定年までひとところに留まるような働き方は、1900年代の初期に始まった国策としての「新しい生活様式」だったという話。私もリクルートの妙な分析記事を読んで強烈な違和感を覚えていたところですが、それは違うんじゃないのと言ってくれる人が出てきてくれてよかったです。

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