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うつから回復した人に見られる特徴について解説します #うつ病【早稲田メンタルクリニック 切り抜き 精神科医 益田裕介】 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



鬱が治ってくると、ニュースを見ても、「ああ、またやってるわ」というふうにどんと構えていられるようになるというのはよくわかります。益田先生のおっしゃる通り、鬱のときはニュースが怖いんですよ。戦争の映像を見て、心が苦しくなるのは、鬱のときです。

数千年単位の長い目で見ると、人類の歴史というのは戦争の連続であって、それが常態とも言えるのです。いまわれわれが「秩序」だと思っているものは永遠に続くはずもなく、「秩序」はどんどん変わっていくものです。世界史や地政学の勉強をすれば、たやすくわかることです。

マスコミや政治家は人道的、倫理的な側面を強調して恐怖や不安を煽ったりして、視聴者や有権者をコントロールします。鬱の時は、そういうニュースや報道を見ると、世の中がどんどん悪くなっていくのだ、自分は生きていても仕方がないと短絡的に考えてしまいがちです。

でも、健常な精神状態のときは過剰に感情移入することもなく。「ああ、またそんなことを言って、我々をコントロールしようとしているんでしょ。このアホどもが!」と冷静に突っ込みを入れられるのです。

「秩序」というのは、英語ではorderです。もちろん、順番のことです。士農工商みたいなカーストと言ってもよいでしょう。誰が一番偉くて、下っ端は誰かというものです。当座「戦後の秩序」とされるものはアメリカを含む連合国が正義であって、世界を正しく導いているということになっています。

実のところ、いまの永遠に続くわけではないのは、子どもにだってわかります。ロシアもソ連ではないのですから、国連の常任理事国のままでいられる理由はないはずです。日本はGDPで世界第2位まで上り詰め、いまは第3位ですが、いつまでもその状態が続くわけでもないのです。秩序というのは常に流動的なものです。マスコミの報道では、「戦後の秩序に挑戦する」ことがまるで悪いことであるかのような言辞が聞かれますが、その考え方の傲慢さ、無思慮、あるいは自虐は、大いに反省すべきだと思います。とにかく、視野が狭すぎるのです。

新型コロナウイルス感染症を巡って、世間では、「ウィズコロナ」と「ゼロコロナ」の対立が見られます。私はそのどちらの立場にも与しません。私の立場は、話が大きくなりますが、人間はウィルスを支配する側ではなく、ウイルスに支配される側にあるというものです。ウイルスのほうが偉いのです。矛盾するようですが、この秩序は永遠に変わらないと思います。コロナによって、人類が苦しめられたのは、傲慢な人類が地球を怒らせてしまったことの証拠であって、地球からの戒めとして受け取るべきなのです。これがいわゆる「ガイア理論」です。共存とか駆逐するという言葉を使っている限り、人類は視野が狭い愚かしい状態のままです。私はもう少し高いところから、この世界を眺めたいと思っています。

話を戻しますが、鬱から抜けた状態になれば、いちいち他人に振り回されることもなくなりますよ。他人がわれわれをコントロールしているやり方が見えてしまうようになるからです。私が言いたいのは、他人にコントロールされないようにするということではなく、さまざまな目に見えない力にコントロールされている愚かしい存在であることを受け入れるしかない、ということです。われわれの戦闘能力は自分たちが思っている以上に低いのです。