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ある事実に対してネガティブ・バージョンとポジティブ・バージョンを考えてみよう [雑感・日記・趣味・カルチャー]

情報源はネット動画、本を買っても中身は読まず…保守系メディア「チャンネル桜」の元レギュラー出演者が「とうとう嫌になってしまった」ワケ | 文春オンライン

去年暗殺された安倍晋三の応援会のネット民は、無知だからこそ安倍政権を支持し、夜郎自大に「日本はスゴい」と言い張り、韓国や中国に対する一方的な憎悪の念を募らせました。結果、先進国とは思えないほどの貧乏な国に成り下がってしまいましたが、そんなことは最初から私は予想していました。安倍が「この道しかない」という言葉でもって愚かな民を扇動したときにすでに、私には結果が見えていました。その通りになってしまって、自分でもいささか驚いています。

ともあれ、日本の貧困化を加速させたあの連中はもうすでに安倍と共に死んだと思いますが、もし一匹でも生き残っているとすれば、「学ばない中高年」とか「働かないオジサン」として、今頃は若者にバカにされているはずです。

今の時代は左翼も右翼もないんですよ。学生運動が盛り上がっていた60年代の残り香さえ完全に消えてしまった80年代に、島田雅彦が左翼を「サヨク」として表現し、シラけた感覚を的確に表現したのと同時に、日本の右翼も全滅したのです。ところが、安倍政権のときに、彼らはゾンビのように蘇ってしまいました。

蘇ったことは蘇ったのですが、コロナ禍があったおかげでだいぶ掃除されたようです。ゾンビ連中の多くは容易く陰謀論にひっかかりました。それによって自分たちが愚劣であることを世間に証明してしまったのですから、彼らの信頼性は地に落ちました。彼らがいまだに自分たちのことを愛国者だと思い込んでいるのは傲岸不遜です。彼らのような無知な人間には「愛国者」を名乗る資格はありません。彼らはまるで自分たちが日本の代表みたいに思っているらしいのですが、それこそが国辱に値します。原発反対派や平和主義を貫く人たち、憲法改悪に反対する人たちをバカにするような連中こそ、むしろ「国賊」と呼ばれてしかるべきなのです。残念ながら、国賊であればあるほど自分のことを愛国主義者だと信じてしまう傾向が高いようです。彼らは勉強をしないので、自分たちが内集団バイアスや外集団バイアスの虜であることに気付くことはないのでしょう。

古代ローマの民主主義は奴隷制を前提に貴族たちが自由人(市民)として民主主義を担っていました。現代は奴隷(=労働者)にも人権を与えられ、「市民」として民主主義に参加させてもらっています。我々一般の労働者は市民でありつつ奴隷なのです。だからこそ、奴隷根性が抜けきらず、選挙にさえ行かない人も半数以上います。彼らはそもそも努力せずに市民に格上げされた奴隷なのですから、自由人(市民)であり続けるための教養(リベラルアーツ)を身につけようともせず、せっせせっせと金儲けのためのビジネス書と自己啓発本ばかり読んでいます。そんな奴隷たちには、教養の概念を理解することは一生不可能でしょう。


「一律な利用の禁止は何も生み出しません」チャットGPTなど生成系AIについて人工知能学会がメッセージ…狙いを聞いた|FNNプライムオンライン

各大学が、ChatGPTブームを受けて、使用に関する独自の判断を続々と出してきています。一律に禁止するということはないにしても、残念ながらほとんど禁止令に近いようです。ある大学では、「現場の教員に従え」と丸投げです。私は「積極的に使いなさい」というタイプですから、それはそれでけっこうなことです。それがために、私は周囲の教師から過激派、テロリスト扱いされています。新しいものは忌避する人たちは自分たちのことを保守派だと思っているのでしょうが、思考停止しているだけだと思います。保守派というのは、新しいものも一旦受け入れてみて、それがいいのか悪いのかを時間をかけて判断して、最終的に受け入れるか拒絶するかを決めることができる人たちのはずです。使いもせずに最初から拒否するのは保守ではなく、ただの「老害」です。

私はインターネットが普及し出した頃(最初期)に飛びつきました。周囲を見渡すとパソコンすら持っていない人ばかりでした。そんな時代に私は自分でホームページを作成し、そこそこ人気のサイトになって当時よくあった紙媒体のインターネット情報誌にも載せてもらいました。メーリングリストや掲示板もつくっていました。その頃から「ファーストペンギン」だったようです。あの頃、インターネットを英語教育に取り入れる論文を書いたりしていました。教育を教室の外に追い出し、かつ教員が学生と同じレベルになることを期待したからです。当時、私の考えは周囲から大いに失笑を買いましたが、いまでは教育にネットを取り込むのは常識になっています。笑っちゃいますが、間違っていたのは、彼らの方でした。


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私の妻もそうですが、常にネガティヴなマインドセットなので、話を聞いているだけで嫌な気分になります。コロナ禍では1年以上陰謀論にどハマりし、家族全員が多大な迷惑を被りました。我々は相手にしませんでしたがね。

それはともあれ、私の同僚になんでもネガティブに捉える人がいます。うちの妻と似たタイプなので、うんざりさせられています。その人の思考パターンは、自分が予想していなかったことが起きると、それを不幸だと捉え、自分がどんなひどい目に遭っているのかを周囲に共感してもらおうとするのです。私はその話にいっさい共感できないので、困り果て、苦笑いするしかありません。

先日、その方は友人に高級な寿司屋に連れて行ってもらったとのこと。せっかく二人でいろんな話をしようとした矢先、話好きの大将が寿司を握るたびにいちいち寿司についてこだわりの講釈を加えるので、彼は友人との会話がまったくできなかったそうです。それが相当に不満だったらしいのです。ネット検索をすれば、その店がそういうタイプの店であることくらいすぐにわかったはずなので、本来は彼らのほうが悪いのです。それに、大将から魚について貴重な話をたくさん伺うことができ、自分が知らなかったことを知ることができるという行幸に預かれたのですから、楽しい経験だった解釈しても良いはずです。それなのに、ポジティブな側面からは考えることすらできないのです。

ある事実に解釈を加えるときに、ネガティブ・バージョンとポジティブ・バージョンの両方を想定することが可能です。たいていはそのときの気分によって、どちらか一方の解釈になります。しかしながら、本来は2パターンがあります。つまり、どちらかのバージョンしか考えられないということは、自分自身を客観視できていないということです。率直に言って、私はそういう人を頭が悪いと見做します。

自分の想定外のことが起きたとき、その偶然を楽しんで、そこから何かしら教訓めいたことを引き出すことができる人は器が大きい人です。小説でも映画でも、主人公が偶然に振り回され、その中で新たな人間に生まれ変わるのが物語です。たいていの物語は読者に主人公の成長を追体験させてくれてるものです。もちろん、もっと高度な物語は、安易な理解を阻害することで、読者を成長させるというものもあります。わからないことを拒否するのではなく、わからないことをわからないままに素直に受け入れられるかどうかは、個人の資質に関わっています。それができる人が学べる人ですし、頭の良い人です。

物語的な偶然を忌避する人は、なんでも自分がコントロールできていないと不満に思うタイプなのでしょう。そういう人がどうやら教員には多いようです。だからこそ、私は教師が大嫌いなのだと思います。彼らは常に学生の悪口ばかり言っています。私と彼らとは根本的に教育観も、人生観もまったく違うので、話がまったく噛み合いません。

彼らは、常に自分の経験した辛いことに共感してくれというメッセージを発します。私はHSP気質なので、以前はいちいち共感していました。そのせいで何度もメンタルをやられそうになりました。メンタルヘルス・マネジメント検定を取得してからは、HSP気質が改善し、おかげで彼らにはいっさい共感しない状態を保ているようになりました。彼らの感情の偏向が見えてしまうので、同じ土俵に立つことを自制できるようになったのです。これこそがメンタルヘルスだと思います。















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