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宮台真司さんと5時間話しました。翌朝の感想#精神科医 #益田裕介 #オンライン自助会 [健康・メンタルヘルス]



私も益田先生と同じようなことを感じました。宮台真司先生は一つ古い世代で、AIをかChatGPTの台頭に同期できない、ある意味牧歌的な世代なんだと思います。感情に支配されすぎている村人という感じです。

私は50代ですが、昔から、宮台的な古い村社会の共同体の価値観にはついていけないタイプで、祭りや恋愛などの土俗的なものが苦手なのです。益田先生がよくおっしゃっているのですが、感情なんかなくても、それはそれでいいし、自分がAIになってもいいという感覚に私は強く共感します。

私の世代も私の上の世代もそうですが、多くの人は電話が大好きです。一方、私は電話が大嫌いです。掛けるのも、出るのも嫌です。電話というのは暴力装置です。他人の時間を暴力的に引き裂き、強奪する無神経な道具なのです。そんな道具を振り回す人は危険に思えるのです。また、彼らはアルコールを通してコミュニケーションを取るという人も多いのですが、私はいまの若い世代と同様に、仕事とプライベートの境界線を意識しないベタベタした付き合いが嫌いです。タバコもドラッグもギャンブルも同じようなものです。そういうものを通じて、ムラ社会的な共同体を構築しようなんて、もはやお花畑です。ただのファンタジーです。つまり、私は何が言いたいかというと、いまの社会は、私が生きやすい社会にどんどん向かってきている、ということです。

感受性が豊かすぎるあまり、いまの社会に「生きづらさ」を感じていると主張する人が多い気がします。私はその反対の感覚を持っています。特にコロナ期以降、私はずいぶん肩の力を抜いて生きられるようになりました。私に電話をかけてくるような人は、母親くらいなものですし、ベタベタとした関係を要求してくる人はほとんどいなくなりました。ドライでフレンドリーな関係によって、薄くつながっている感覚が居心地が良いのです。いちいち名刺を交換したりして、相手の顔と名前を覚えることもなく、翌日にはその人のことをけろりと忘れてしまっても誰からも咎められないような状況が私にとっては居心地が良いのです。

電話といえば、私にかけてくるのは母以外には、宅配便の配達員くらいなものです。今日も残念ながら1本ありました。なぜ私の仕事中に配達し、私に電話をしてくるのかその神経がまったくわかりません。そもそも昼間、電話に出られる受け取れる環境にいる人はどれだけいるのでしょうか。みなさん働いているはずですよ。ふつうの事務員だったら、出られるのでしょうかね。そんな楽な商売をしているものでしょうか。もちろん店員さんも、工場労働者も、肉体労働者も電話なんかに出られるわけはありません。教員だって、授業中に電話に出ることはありません。会社勤めの人でも、会議をしているかも知れません。そういう人に電話をかけるなんていうのは想像力がありません。

宅配便の業者は荷物を届けられないと言ってぼやきますが、宅配ボックスがあればそこに入れるか、入らなければ玄関先に置いておけばいいだけのこと。それなのに、わざわざ持ち帰ってしまって、なんとしてでも手渡ししたいというのは私には解せません。そんな牧歌的な配達方法は早急にやめてほしいです。いつの時代なのかと思ってしまいます。配達業者の負担を減らすなら、手渡ししなくてもいいように法改正すればいいだけではないですか。通販を利用するの人のせいにするバカがいますが、「◯ね」と言いたくなります。彼らはあまりにクソすぎるんですよ。うちなんか、しっかり」防犯カメラも設置しているし、防犯カメラを設置しているというプレートも玄関に貼り付けています。それなのに、なぜ置いておかないのか、彼らは頭が悪すぎるんじゃないかと思います。いい加減にしてほしいですよ。








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