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台風21号とモーリー・ロバートソン [雑感・日記・趣味・カルチャー]

台風21号の被害があまりにすごすぎて、笑ってしまうほどだった。

テレビでは、人間が風に吹き飛ばされて立ち上がれない様子や、橋の上で横倒しになる背の高いトラック、複数のクルマが強風に吹き飛ばされて次々に一か所に集められていく様子、看板や屋根や駐輪場が土台ごと吹き飛ばされていく光景、冠水して漁港のようになった空港、橋に衝突して身動きが取れなくなった船、火花が散る電線などを繰り返し流していたが、私はそれをビデオゲームの世界を覗き込んでいるかのように目を丸くして見ていた。

その後、YouTubeに被害のまとめ動画が上がっているのも見たのだけれど、コメントを見て、ひどく驚いた。被害の様子を撮影しながら笑い声を上げている撮影者をめざとく見つけて、「笑うのは不謹慎だという意味を込めて、「最悪」というコメントがあったのだ。

人間というのは、あまりに大きなショックを受けると、笑ってしまうことがある。阪神淡路大震災のときも、地下鉄サリン事件のときも、911テロで世界貿易センタービルのツインタワーが崩壊したときも、東日本大震災の津波のときも、私はそれを見た後にあまりに悲しくなって笑ってしまった。立川談志が生前よく語っていたように、多くの日本人にとって内心痛快だったはずの911はともかく、それ以外の事件や災害のときには、当たり前だが、ざまあみろという意識はまったくなかった。東日本大震災のときは、自然の力があまりに脅威的すぎて、また、人間の愚かさがあまりに明解すぎて(原子力発電所の水素爆発と放射線の飛散!)、ついうっかり笑ってしまったのだ。多分恐らく、そういう感情を持ったのは私だけではなかっただろう。人間というのは、そういう複雑な感情を持つ動物であるはずだからだ。

近頃のテレビのニュース番組は、キャスターやアナウンサーが急に表情を変えて、悲しい顔をすることがある。それを見て、これから伝えられるニュースは悪いニュースなんだなと視聴者は理解するのだろう。悪いニュースを伝えるときに、悲しい顔をしないのは不謹慎だと視聴者から苦情があったのかもしれない。しかし、直前まで、アナウンサーが笑みを浮かべたり、笑い声を上げたりしながら、楽しそうに情報を伝えていたのにと思うと、そのギャップが気になってニュースが頭に入ってこなくなる。何より、ニュース番組のくせに、そのニュースは悲しむべきニュースであるとか、誰が善人で誰が悪人かなどを決めつける理由が私にはわからない。視聴者に一つの価値観を押し付けることについて、私は不満に思ってしまう。昔、NHKのニュースは、どんな内容であっても、同じ口調で伝えられていたと聞いたことがある。ニュースを客観的な情報として冷静に伝えることが重要視されていたのだろう。その時代の流儀に戻したほうが、本来の意味である日誌(日々の記録)としてのジャーナリズムになるのではないか。客観的情報を得た上で、視聴者はその出来事の意味を自分で考える余裕を与えてほしいと思う。無教養なコメンテーターが(スポンサーや政権に忖度して)当たり障りのないコメントをしてお茶を濁すようなことをする暇があったら、もう少し一次資料を提供することに時間を費やしたほうがいいだろう。

いつそうなったのかわからないが、アナウンサーがニュースごとに表情を大げさに変えて伝えるようになったのは、比較的最近のことのように思える。視聴者にわかりやすく情報を伝えることを意識するあまり、価値観の強要をするという弊害が出ているように私には思える。YouTubeのコメント欄にあったように、災害を笑うなというのは、人間というものを理解していない人の浅薄な認識である。あのタイプのニュースの伝え方が常態化してしまったがために、人間は単純な感情しか持たない生き物だという誤解が浸透してしまったのかもしれない。そっちのほうが遥かに怖い気がする。

私は授業中に、人間は悲しいときに笑ったり、怒ったりして、ストレートに感情を伝える生き物ではないとあえて言わせてもらうことがある。そんなことは文学に通じている人間にとっては常識なのだと思うが、そんなことを言ったら、驚いた学生がいて、逆に驚かされた経験があるからだ。エセ心理学にありがちなな単純な分類的発想法は理解できるけれど、文学的な複雑な発想法が受け入れられない時代だからこそ、人間の人間らしさを理解していない人が増えているのかもしれない。

“ショーンK経歴詐称騒動”のフジ新番組が起用したモーリー・ロバートソンはショーンよりもっとヤバい!|LITERA/リテラ

学歴詐称をしていたショーン・Kは悪質であることは間違いないが、「学歴コーティング」で選民意識を爆発させているモーリー・ロバートソンも悪質という内容。

モーリーの出発地点はJ-WAVEのDJだった。その後、しばらく姿を見ない時期があったが、メディアに復活したら、いつの間にか、彼は「国際ジャーナリスト」と名乗るようになってしまった。ハーバード大でジャーナリズムを専門に勉強したわけでもないのだから、それこそ「学歴詐称」かもしれない。

私はJ-WAVEのDJだったころから彼のことはラジオを通じて知っているし(もちろん直接の知り合いではない!)、少しは考え方に影響も受けたので、彼のことは悪く言えないけれど、確かに、リテラの言うように、モーリーの言っていることは、腑に落ちないことばかりな気がする。そういえば、昔、クスリをやっているのではないかと思えるほどの躁状態のときもあったなあ。まあ、変な人ですよ、あの人は。常識では理解できません。まさに「人間」です。