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乙武洋匡氏「教育改革のためには教員免許の”廃止”を!」橋下氏「大いにありだ」(AbemaTIMES) - Yahoo!ニュース [資格・学び]

乙武洋匡氏「教育改革のためには教員免許の”廃止”を!」橋下氏「大いにありだ」(AbemaTIMES) - Yahoo!ニュース

日本の英語教育は時代錯誤だと批判する人は、"This is a pen."なんか絶対に言わないとよく言うけれど、それこそ思い込みに過ぎないし、完璧に時代錯誤な考えだ。まったく根拠がない。ここでは、penをpanと表記しているが、鍋を皿代わりに使っている行儀の悪い人に向かって、「これは皿ではなく、鍋だぞ("This is not a plate but a pan.")」と言ってたしなめるのなら、ふつうに使える。

ことほどさように、実際にはThis is 〜はよく使われるのだけれど、なぜか日本の英語教育を貶めて、マウンティングしようとする人たちは、この表現を持ち出して、日本の英語教育はグローバル化に対応していないとギャンギャン吠える。グローバル化に対応していないのは、むしろ彼らの方である。

penは日本人なら誰でも知っているから、奴らはそう思うのだけれど、たとえば、「これはテナーウクレレです」などと言いたいときには、This is a tenor uke.だし、"This is mine." も"This is me."も"This is good!"とかだって言えるのだから、使い勝手のいい、非常に便利な表現である。"This is a pen."を目の敵にする人たちは、脳みそが軟化しているだけではなく、きっと英語もできないんじゃないかと思う。

乙武氏の主張する、教員免許の廃止に関しては異論も多い気がする。教員と医者とは違うのかもしれないが、病院に行っても免許を持っていないヤブ医者しかいなかったら、かなり怖い。そんな病院しかないなら、我々はドラッグストアで間に合わせるしかない。

本来の教育の目標というのは、個人の価値を高め、社会を誰もが暮らしやすい場所にすることに貢献できる人間を育てることである。それを日教組による反日教育だと、ネトウヨはほざくけれど、そういう価値観をすべての教師が共有してくれないと非常に怖い社会になってしまう。きっと乙武氏や橋下氏は、その価値観を共有できるほど、成熟できていないのだろう。

仮に、安倍総理を支持する「ネトウヨ」みたいな差別主義や、国家のために命を捧げることを教え込む「教育勅語」を暗唱させる教員しかいない教育機関だらけになったら、安心して自分の子供を預けられない。社会が共有できる一定の価値基準を持っていない人物を学校に送り込むことを許容するのは相当に危険なのではないかと思う。

万が一、乙武氏の主張を医師免許に当てはめたとしたら、俺が独自に研究開発した治療法を施してやるというような医者ばかりになりそうだ。自動車運転免許に当てはめてみても同じことが言える。免許を取るのに時間もお金もかかるからといって、誰もが免許なしに運転できるようにすべきという人たちが国会議員の多数を占めて、それが実現したとしたら、逆に、人間はクルマを運転できなくなってしまうし、歩行者は通りをプロテクターやヘルメットを着用せずには歩けなくなるだろう。

誰でも教員になれる社会にするというのは一見良さそうなアイデアではあるが、ある程度のハードルを設けておかないと、教育の質が担保されないと思う。

乙武氏や橋下氏のようなアナーキストやリバタリアンに共感する人が多くなったとしたら、日本はトランプ大統領を支持する層が数多く住むアメリカの南西部の田舎者の国家になってしまうだろう。今以上に外国からバカにされるに違いない。

私個人の考えでは、教員免許を廃止するのではなく、安倍政権下で施行されることになった教員免許の更新制度を即刻廃止するべきだと思う。免許更新のために数十万円も取られ、かつ数週間も研修を受けなければいけないというのは、「誰得」なんだろうという気がする。馬鹿な官僚と政治家が考えた、教員いじめの愚策の方こそ直ちに撤廃してほしい。それにしても、安倍政権はろくな改革をしてこなかったなあ。


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