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カフェラテ150円 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

カフェラテ150円の罪の大きさ:日経ビジネス電子版

私は小田嶋隆さんのコラムをいつも楽しみにしている。TBSラジオの月曜日の「たまむすび」出演の回もなるべく聴くようにしている。彼の話が面白い要因は、切り口にある。主義主張を滔々と述べることは誰にでもできるが、その切り口の断面が美しく、きれいに角が立っていることが重要なのだ。良い包丁を使わないと、そういう感動は生まれない。世の中の数多のコメンテーターは錆びついて切れ味が悪くなった100円ショップの包丁を使って、力任せにガリガリと人参を切ってしまう。痛々しいくて、素材があまりに可愛そうだ。

今回、小田島さんが取り上げたのは、コンビニで100円コーヒーを注文しておいて、150円のカフェラテを入れて逮捕されたオジサンのニュースだ。そんなせこいニュースを真剣に作って流すNHKは、感覚があまりにずれているという指摘だ。50円をちょろまかしただけの(もしくは、その数倍かもしれないが)オジサンが逮捕された事件を、さも大ニュースであるかのように、大げさにまた真剣に全国の国民が知らしめるNHKは、何を基準にニュースを報じているのかまったく理解できない。

バカバカしくて呆れてしまうのは、そのニュースだけではない。殺人、火事、事故など、ほとんどの人にとって、どうでもいいニュースがテレビで日々流れている。誰が誰をいつどこでどんなふうに殺したかなど知りたくもない。そういうニュースがないと禁断症状になって、殺人の話を知りたくて居ても立ってもいられないという人が世の中にいるとでも思っているのだろうか。もしそういう症状が出る人がいたとしたら、心療内科で診てもらったほうがいい。

NHKが国民から強奪した多額の受信料を使って、そんなことを報道する暇があったら、安倍総理の嘘を暴く番組でも作って、受信料を支払っている我々を幸福に導いてくれたらいいのに。そんな私(わたくし)でも、殺人が私の家の近所で起きたのであれば、興味を持って見るだろう。しかし、たいていは自分の近所の話ではないので、まったく関心が持てない。それは情報の価値がないからだ。

「情報の価値」というのは、どれだけ多くの人にとって関係があるかで決まる。殺人、火事、事故よりも我々の生活に身近なのは、法律の改正や経済の状況であろう。沖縄の辺野古の政府による強引な埋め立ての話のほうが、我々日本人にとっては重要なことである。レーダー照射問題に関する韓国軍と日本の自衛隊との対立よりも、はるかに大事なことである。あれは子供の喧嘩か、夫婦喧嘩みたいにくだらない。、犬も食わない話である。逆ゃくに言うと、あんなニュースに食いつくのは犬みたいなものだ。

とはいえ、いくら重要なニュースだからといって政治経済ばかりに偏ると、新鮮味がなくなり、むしろ興味を持つ人が減ってしまうかもしれない。だからこそ、物事を扱う切り口が重要なのだ。素材の切り口が鮮やかだと、野菜だって新鮮に見えるものである。鮮やかに物事を斬るには、角度が重要だ。普通の人が真上から地面に垂直に切るのなら、あえて斜めに切ってみるとか、水平に切ってみるとか、波波に切ってみるとか、誰もそんなことはしないという角度で切るのがいい。それが情報の価値、情報の希少性を高めることにつながる。そんなふうに物事を別の角度から見る訓練を無意識にしてくれるような人は、案外少ない。小田嶋隆さんは、物事の切り口を大事にする、メタレベルで物事を見ようとしている数少ないコラムニストの一人である。


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