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少子高齢化は止められない [雑感・日記・趣味・カルチャー]

大学で使っている英語の教材でも、「少子高齢化」は定番のテーマになっています。日本や中国や韓国を含む「先進国」(ほんとう?)では少子高齢化が問題になりつつあり、それが財政を逼迫させ、国家の存続を危険にさらしています。国家は少子高齢化対策をさまざま講じていますが、どれも効果は出ていません。

「少子高齢化」と一口に言っても、「少子化」と「高齢化」は別問題です。「高齢化」のほうも、「長寿化」と「高齢者の割合の増加」に切り分けて考えなければいけません。

日本に限って言えば、高齢化が起きているのは、大量の人々が死ぬような戦争が70年以上にわたって起きておらず、医療の進歩も著しく、食事に関しても栄養面での向上が見られるからです。これは非常に良いことです。介護保険制度も導入され、介護施設で面倒を見てもらえる幸福なお年寄りも増えているようです。お年寄りが安心して長生きできる時代がこの20年ほどの間に実現されているのです(将来はわかりませんが)。これが「長寿化」の原因です。この原因を取り除けば理想の社会が実現されると考える人は、非人道的な考え方を持つ差別主義者以外にはいないでしょう。

「高齢化」は、人口に占める高齢者の割合が高くなることですが、「高齢化」は、生まれてくる子供の数が減っていく「少子化」と切っても切り離せません(先程切り分けて考える必要があると言いましたが、ゼリーや豆腐や刺し身を包丁で切り分けても、表面張力ですぐにくっついてしまうような感じです)。

「少子高齢化」の最大の問題は、その「少子化」であることは間違いありません。日本に限って言えば、少子化が起きている原因は明らかです。それは、子供を産み育てるのにはあまりにお金がかかりすぎるということです。分娩のための費用は健康保険で賄われますが、その健康保険は回り回って、あとで自分で返さなければいけません(そういう制度です)。12歳までの子供の病院代は無料にしている自治体が多くなりましたが、その費用も、まずは他人が積み立てたお金を利用させてもらいますが、あとで自分で支払うことになります。

保育園や幼稚園に通わせるのもお金がかかりますし、大学まで公立の学校に通わせても教育費は1000万円は軽く超え、すべて私立だとしたら3000万円は優に超えます。子供が複数いれば、その数倍です。さらに住居費もかかるし、電気ガス水道代も、税金も年々高くなっていくし、それなのに賃金は上がらず、実質賃金や可処分所得は減っていっています。年金の支払いは増えていきますが、支給年齢が引き上げられ、支給される年金の額は減っていっています。

政府はインチキな統計で、生活水準が上がっているように見せかけていますが、ようやくそれが嘘であることが人々にバレました。子供を産み育てることは、日本社会では贅沢なことになったのです。むしろいないほうが、負担がない分、個人は幸せに、安楽に、そして自由に暮らせるのです。いまは子供がいるだけで、将来の不安が増す社会なのです。

この状況で、少子化を止められるとか、進行を遅くできるとか思っている人はあまりに楽観的すぎます。一時期、「婚活イベント」を自治体が開催することが流行りましたが、結婚すれば子供が生まれるというあまりに子供じみた考えを公務員の方たちが持っていことに驚きました。

「少子高齢化」を移民で解決することもできるかもしれませんが、その場合は、労働環境や学校や病院、地域社会などで彼らを日本人と平等に扱わなければいけません。その経済的な負担は相当なものになりそうです。よりいっそう国民の負担が増えるわけですから、将来不安もトラブルも増えるでしょう。

対策として一つ考えられるのは、インフレにして、借金の額を目減りさせることです。物価を10倍にすれば、借金も10分の1になります。そのかわり給料も10倍にしないと、うちのような貧乏家族は全滅です。少子化がより一層進みます。

しかし、そうしてしまうと、物価の安い新興国に対する競争力が激減します。それでも競争力を維持するためには、いままでのようなやり方ではいけません。一人ひとりの能力を高める必要があります。日本は貧乏な国になったので、物価が相対的に安くなったため、中国などから工場を日本に戻しています。しかし、そんな単純労働ばかりでは、国際競争力が上がるはずがありません。そのためには教育や研究への投資を増やさなければいけません。ところが、日本はその反対のことをしています。英語だけ勉強していればいいみたいな、呆れた風潮です。属国マインドから敗戦から70年以上経っても抜けないのです。そんな日本に勝ち目はありません。アメリカから、使い物にならない戦闘機を大量に買わされても、属国の日本の国力はダダ下がりです。

残念ながら、日本は将来がないのです。もう終わったのです。見たくないからと言って、現実を見ようとしていない人ばかりだからこそ、日本は終わっているのです。

我々に残された課題は、ソフト・ランディングする方法を考えるしかないのです。我々はどんなふうにきれいに滅びていくかです。このままだと、確実にハード・ランディングです。それを防ぐためには、ネアンデルタール人がホモ・サピエンスと混血する形で遺伝子を残したように、日本人もよその人たちと混血し、地球上に散らばる方法を模索するほうがよいのかもしれません。移民と言っても、我々のほうが外国に移り住むということです。