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甲子園の暑さに耐えるのが教育? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

『モーニングショー』で「甲子園の暑さに耐えるのが教育」元高校野球監督が“極右論客”に! 改憲主張や慰安婦否定も|LITERA/リテラ

私は小学校の低学年の頃、週1回グラウンドで行われる朝礼の最中に何度か気を失ってバタンと倒れた経験があります。別に、暑さで倒れたのではなく、長時間(20分程度?)立っている体力がなかったのです。世の中には、そういう人もいるのです。

体質的に無理なのに、鍛えれば、できるようになると考えるのは傲慢というものです。私は酒が飲めない体質なのですが、酒なんか飲み続ければ、いずれ飲めるようになるんだと、指導教授に言われ、無理矢理飲まされました。いまだったらアルハラです。指導教授には、セクハラもパワハラも受けました。理不尽だと思っていましたが、権力者には逆うことはかなり難しかったです。

教育の目標の中には、暗黙の了解として、我慢強くなることというのもあるのでしょう。目指すゴールに辿り着くために困難に耐え、死ぬ思いをして奮闘する気力と体力を養うことも重要なのかもしれません。しかし、人間には限界があるのです。その限界を見極めることは、他人には難しいし、その責任を取ることもできません。すべての教育者は、医学の専門家ではないのですから、他人の体力や精神力の限界や、体質などを科学的に理解し、判断することはできません。それにもかかわらず、自分には他人のことがわかると主張するのなら、あまりに傲慢です。

一般に、我慢強くなることが教育の大きな目標としては認識されていないと思います。むしろ、科学的・論理的な思考力の育成を通じて、人間の傲慢さを排除し、視野の狭さを克服するのもまた教育の目標です。「耐え難きに耐え、忍び難きを忍ぶ」ことに美しさを感じる時代錯誤のおじさんもいるかもしれませんが、理不尽なことに耐え続ければ、人々の生活環境は良くなりませんし、幸福度も高まりません。子どもたちに無理やり不当な仕打ちに耐えさせることが教育であるというのは、いじめと同じです。

更に言うと、世の中にはいろんなものの見方があるのですから、教員である俺に従っていれば間違いはない、自分だけが正しいのだと主張するような姿勢を子供たちに教え込むことは教育には値しません。教育の理念に反しています。

確かに、目標を達成するためには、我慢強く(patient) なることは重要です。しかし、その手段が不当なものである場合は、その限りではありません。さらに、人間は、我慢しすぎると患者(patient)になってしまうことも覚えておいてほしいですね。この元監督は、頭が悪そうですから、英語がわからないかもしれませんね。