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自治会(町内会)が人間関係を悪化させる [雑感・日記・趣味・カルチャー]

自治会(町内会)というものは、おそらく日本全国にあるはずです。その起源は戦時中の隣組にあるかもしれませんし、それ以前のムラだったのかもしれません。隣組は、外国との戦争を推し進める国家に対する裏切り者がいないか相互監視するものとしてネガティヴな機能を果たしたようです。私の所属する自治会(町内会)も、隣組と同じように、人間関係を悪化させています。

自治会の存在理由は、地方自治体(役所)の機能のアウトソーシング(外注)です。自治会はゴミ集積所の管理や街灯の維持管理など、共同体を物理的に維持するために必要なことをしています。毎年、そのための役員を選ぶことになるのですが、不公平がないように、ごみ集積所のネット張りなどの仕事は基本的には持ち回りになっています。ごみ集積所の管理程度なら負担は少ないのですが、もっと面倒な仕事をしなければいけないこともあるのです。

共働き家庭で、休日出勤を必要とする仕事の人もいるので、自治会の会議や行事に参加することができない家庭もあります。また、介護のために家を空けられない人もいます。本人が高齢者であるために自分の面倒すら見られないのに、他人の面倒なんか見られるわけがないという人もいます。

役員を選ぶためには、担当者が、それぞれの家庭の事情に配慮して、潜在的な可能性のある人を選び出し、直接家庭訪問してお願いすることになります。私の妻は5年ほど前、その仕事を引き受けさせられました。お願いする際に、いろんな理由をつけて断られ、嫌な思いをしたそうです。そのことがあってから、我が家と隣近所の関係が急激に悪化しました。まず第一に私が挨拶をしてもらえなくなったのです。それまでは愛想よく笑顔で挨拶してくれていた隣人が私を無視するようになりました。今日も、家の外に出て駐車スペースの掃除をしていたときに、向かいの家の女性が、私を一瞥することもなく逃げるように家からそそくさと出ていきました。私とその女性との間にトラブルがあったわけではないのです。直接話したことすらないのですが、かつてはふつうに挨拶していました。トラブルはうちの妻との間にあったのです。

自治会(町内会)というのは、本来コミュニティーの維持管理を担うもので、住民が暮らしやすい環境整備にあるのですが、実情に合わないことをやり続けているために、かえって住民同士が仲違いし、居心地の悪い空間を作り上げています。

日本中で子供の数が減っているというのに、私達が所属する自治会では毎年わざわざ小学校を貸し切って運動会を行っています。そんな自治会なんて、日本中探しても、ないんじゃないかと思います。馬鹿げています。私も10年ほど前に運営委員になって、5月の暑い日に無賃労働をさせられました。カリカリに日焼けしました。妻は食事担当でおにぎりをたくさん握る仕事をしました。今はそのところよりもよりいっそう子供の数が減っているのですが、クルド人難民の子供がたくさんいるので、彼らを集めて運動会をしているそうです。豪華景品もあって、毎年1名に自転車がプレゼントされます。難民たちは自治会費を払っているはずがないのですが、不思議なことに彼らも景品をもらう資格があるのです。

どうしてそんなことをし続けている必要があるのでしょうか。高齢化が進行していて、老人ばかりで、参加するのも億劫だからやめたほうがいいというのに、難民たちも参加しているからやめられないと1、2年前の会報に書かれていました。コミュニティの維持には何らかの行事は必要なのかもしれませんが、小中学校でも運動会をするのに、なぜ自治会で運動会を開かなければいけないのかまったく理解できません。

無駄な行事を運営するために我々が負担しなければいけない費用にも腹が立ちますが、それよりも、次の運営委員を引き受けさせる仕事が大変なのです。誰もがそういう仕事をしたくないので、押し付け合いが起きます。学校のPTAと同じで、それがために、かえって人間関係を悪化させて、暮らしにくいコミュニティーが出来上がっています。その事実を高齢の自治会長は認識すべきです。もはや時代が変わったのです。彼らは昔からやり続けていることは急にはやめられないし、やめると寂しく思う人もいると主張します。いや、誰も寂しいなんて思っていませんよ。そういうことを言うのはあなただけです。

ついでに言うと、自治会の行事の一つにバスツアーがあります。自治会費から補助が出るので、民間の旅行代理店を利用するより安く旅行ができるというのです。彼らの旅費を旅行に参加しない町内会の人間が負担しているわけです。きっと彼らの飲み代も自治会費から出ているのでしょう。

自治会(町内会)の存在意義を改めて考え直す時期が来ていると思います。いや、むしろ、とっくの昔に過ぎているのかもしれません。