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HSPにとって少しずつ良い世の中になってきていると感じています [雑感・日記・趣味・カルチャー]

私は自分で楽器が演奏できるようになって、ずいぶん心が穏やかになってきました。妻や世間に対する怒りが消えつつあります。おかげで考え方も姿勢も少しずつ変化してきています。

私はHSP(Hyper Sensitive Person)である可能性が非常に高いと思っています。子供の頃から、お前は感受性が強く、傷つきやすい人間だから駄目だ、その性格を直さないといけないと母親にきつく説教され、人格否定をされ続けてきました。母親はがさつな人間なので、若い頃はよくぶつかりあっていました。

HSPは人口の20%もいるらしく、けっして珍しくはないそうです。これは日本だけの話ではありません。HPSの主な特徴は外部の刺激に強く反応し、広く浅い人間関係を作るのが苦手というものです。雑なものの見方をする人の目には、HSPの性格は内向的だとか消極的だとか、ネガティヴに映るようです。

世の中のマジョリティは、そういう粗雑な感受性の人間のほうです。彼らはHSPが抱えている生きづらさをまったく理解してくれず、「甘え」だとか人間的な弱さだと決めつけて非難します。私は人付き合いが苦手なわけではなく、そういう鈍感な人たちとの人付き合いが苦手なのです。それがわかってもらえないのです。

私は3人以上の集まりだと、急に話ができなきなります。これもHSPの特徴だそうです。そんな人間にどうして教師が務まるのかと聞かれれば、それは基本的には授業というものは一対一だからと答えるしかありません。授業中にディスカッションやディベートをするような場面は、一対一の関係を崩すので、一切しません。苦手なことは無理にしないのです。

そんな私も結婚をすることができたのですが、相手は自己中心的で乱暴な性格であることが徐々にわかってきました。その無神経な態度に私はこれまでさんざん傷つけられてきました。去年、妻は私が複数の楽器を買って練習していることに腹を立てたことがあります。お金の無駄遣いだ、と。そのときに、私は彼女との結婚生活によってボロボロになった心の傷を癒やすために楽器の練習をしているんだといきり立って反論しました。こんなクソみたいな人生に耐えられないから、楽器を演奏しているんじゃないかと。彼女は鈍感なので、きっといまだに私の気持ちはわかってくれないと思います。他人の気持ちを理解できないタイプの人間ですから、他人が嫌がることを平気で言います。だから、私は妻に近づくことができません。

これまでウクレレ、ギター、三線、ピアノができるようになり、そしてバイオリンも弾けるようになり、どんどん心が癒やされてきています。特に、ピアノやバイオリンは音がきれいなので、自分の演奏ですが、うっとりします。瞑想をしているような気分を味わっています。傷が完全に癒えることはないでしょうけど、傷の痛みはその間だけは忘れることができます。

明日からまた、俗世の暗闇の中で、がさつに振る舞える大勢の人たちの中に、入っていかなければいけません。つらいです。

HSPは、これまでの社会常識では、確かにネガティヴな存在だったのかもしれません。企業で体育会系が重用されるような無神経な時代が長く続いてきました。悪く言えば、他者に対してリスペクトを欠くような乱暴な人のほうが称賛されていた時代です。しかし、そんな時代は終わりました。インターネットの普及とともに、無神経な人たちの支配が終わり、HSPも我慢せずに生きていける時代になりつつあります。少しずつ良い世の中になってきていると感じています。