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いまこそ断捨離が必要! [雑感・日記・趣味・カルチャー]

私は積極的な断捨離派ではけっしてないのですが、それでも断捨離が必要なときもあると思います。いまはまさにそのときです。時代の「要請」です。断捨離とは、自分にとって良くないもの、心地よくないもの、不必要なものは断って、捨てて、自分から引き離してしまう生き方です。

【断捨離】“クローゼットデブ”卒業!「買わなくていい服」の見極め方(1/2) - ハピママ*

確かに「他人軸」で買ったものは、ゴミですよね。「おしゃれ」なものは、他人に自分がどう映るのかだけを考えているのですから、すべて「他人軸」です。また、スーツも制服もゴミです。他人にどう見えるかだけで着ているものです。サラリーマンに見えるようにとか、高校生に見えるようにとか。会社や学校に行かないんだったら、制服も存在意義がありません。

神戸新聞NEXT|総合|不安による集団ヒステリーが広がったら 学者が警鐘

歴史に学ぶことは大事です。コレラの流行で1879(明治12)年と86(明治19)年、日本での死者が10万人を超えたそうですが、そのときに「集団ヒステリー」が発生し、さまざまな問題を引き起こした例があるそうです。

現在の状況もまた世界的な「集団ヒステリー」です。日本では自分が感染する確率は1万分の1くらいで、死ぬ確率はほぼゼロです。マスコミの扇情的な報道を真に受けず、冷静になるべきです。

中村文則「僕は小説家だからこそ恐れずに言う」 | 読書 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

「ミュージシャンやお笑い芸人は政治に口を出すな」というようなことをいう人がいますが、海外のミュージシャンの多くはみな政治的な発言をし、歌詞をよく読むと政治的なものも多くあります。ラップなんて、そもそも政治的なメッセージが起源ですからね。

日本の「演歌」は、もともとは政治演説歌でした。いまの演歌は「艶歌」と書くべきです。「ミュージシャンやお笑い芸人は政治に口を出すな」とかいう連中は、添田唖蝉坊なんていう明治の演歌師のことは教養がないから知らないんでしょうね。ずっと時代が下って、フォーク音楽の時代も、政治的な歌がたくさんありました。いまは自分のことだけしか歌わない人が多いですが、昔から日本人は社会を歌っていたんですよ。

お笑いも、私の子供時代は元日からテレビで、今の政治は駄目ですねというボヤキ漫才がよくありました。なぜ今はそれがいけないことなのか、まったくわかりません。

ミュージシャンであろうが、お笑い芸人であろうが、選挙権も、被選挙権もあります。日本の民主主義を支える一般市民の仲間です。一般市民を楽しませるために雇われた奴隷ではありません。

「コロナ疲れ」を引き寄せないための7つの習慣 | 自衛隊員も学ぶ!メンタルチューニング | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

私はある時点から、イライラも不安もなくなりました。「絶望」を通り越してしまったのです。「バカは相手にしない」というのがポリシーですから、馬鹿げたものには近づかないようにしています。しかし、「バカをバカにする」のは私の娯楽の一つです。

この記事の3ページ目にリストアップされている7つの方法は重要です。もっとも重要なのは「テレビを消す、スマホを見ないという時間を作る」ですね。テレビと言っても、テレビの情報番組やニュース番組です。連日連夜、視聴者の不安を煽るようなことばかりしています。人間というのは不安にかられると、その不安を和らげてくれる情報を求めたがるものなので、中毒患者のようにテレビにかじりついて、そういう情報がないかどうか探してしまうのです。それこそテレビ局や彼らのスポンサーの思うつぼです。バカバカしくてやっていられません。

多摩川の河川敷でBBQをやっている人たちを責めるような報道があります。場所は風通しのいい屋外ですし、他人との距離もある程度は取っているし、体温チェックも手指消毒も徹底していると主催者は言っています。その主催者をまるで犯罪者であるかのように伝える報道のほうが犯罪的です。

そういうテレビを見ているからこそ、病まなくてもいい精神を病んで、「自粛ケーサツ」がハエのように発生するのです。

科学的知見をベースにしながらも、社会全体を見る総合的な視野が必要なのですが、政治家も官僚もバカ、専門家もバカ、マスコミもバカ、視聴者もバカなので、どうしようもありません。この「集団ヒステリー」に感染しないようにするためには、まさにいまこそ「断捨離」が必要です。テレビはゴミです。


長時間一緒でも波風立てない夫婦の3のルール | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

「妻が離婚を切り出す最大の理由は感謝の欠如」ですか。ドキッとしました。私だって妻には心の底では感謝しているんですけど、言葉にも行動にもなりません。新婚時代とは違って、長年一緒に暮らしていると、まるでいまの生活が当然であるように錯覚してしまいます。

「どんな女性もパートナーに『君は重要だ』と思ってほしいというわけです。」

逆に、私も重要だと思ってもらいたいです。