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2020年というのはどういう年だったのか? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

The magnifying glass: how Covid revealed the truth about our world | Coronavirus | The Guardian

2020年は、東日本大震災以降で、私自身もっとも多くのことを学んだ年でした。一言でいうと、「世の中は単純じゃない」という当たり前のことを改めて教えてもらいました。

2020年の主役は、誰の目にも明らかであるように、(東京五輪でもトランプでもなく、)新型コロナウイルス(Covid-19)です。この目に見えないウイルスが明らかにしたのは、この世界がいくつかの線で分断されており、その境界線を消すことは困難であるということです。

グローバル化によって、さまざまな境界線が無効化されるつある時代に突入しているにもかかわらず、貧富の差、ブルーカラーとホワイトカラーの差、そして(幻想に過ぎない)人種の差、男女の差などの境界線を消すことがいかに難しいか、人類は悟ったのではないかと思います。

ジョン・レノンが「イマジン」で歌ったような、さまざまな対立が消えたロマンチックな世界は人類が滅びるまで来ないと思います。(人類が滅びれば、対立は消えますからね。)

Covidは、他人との接触(contact)ばかりか、愛する人との接触すら、自らを滅ぼす危険な行為にしてしまいました。

頭の悪い人たちは、「敵か味方か」などというアメリカの西部劇のような単純な二分法で世界を見ようとしますが、その二項対立には二項対立を崩壊させる要素が内包されています。対立が鮮明になった瞬間に対立が崩壊し、対立が消えたと思った瞬間に対立が復活するという状態です。

東日本大震災のときに喧伝された言葉として「絆」があります。絆という接着剤で人と人が結びついても、人と人との間にはわずかな隙間が必ず開いています。その溝に、肉眼では捉えにくい「異物」が混入し、我々の知らぬ間によりいっそうその溝が広がり、最終的には人類全体を崩壊させる可能性も生じるというわけです。

異物はウイルスに限ったものではありません。この世界にウイルスのように蔓延する陰謀論もその仲間です。

フランスの現代哲学者ジャック・デリダが亡くなったのは、すでに16年前です。彼が生きていたら、この悲惨な状況についてどのような論評をしていたのか、ふと考えることがあります。恐山のイタコにでも聞いてみたい気がします。