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神社はすでに汚れているのです [雑感・日記・趣味・カルチャー]

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日本も同じでしょう。秋以降にようやく落ち着くということになれば、五輪は中止決定です。2月までにはさすがに牛歩戦術の菅総理も腹をくくってくれるでしょう。その前に首をくくることのないようにしてもらいたいです。

神社での参拝「二礼二拍手一礼」は伝統的な作法ではない|話題|婦人公論.jp

神道というのは、天皇崇拝につながるいかがわしい宗教(宗教ですらない!)ですから、私は苦手です。「二礼二拍手一礼」や、鳥居をくぐるときは端を通るなんていうインチキなしきたりは占い師の細木数子がテレビで全国に広めたものです。それ以前はみないい加減でしたからね。神社側も昔はそんなことを参拝客に要求していませんでした。私は細木数子を100%信じないので、私が妻に参拝させられるときは、いつもいい加減にやっています。お賽銭も5円とか10円で済ましています。バカバカしいですからね。

そもそも天皇一族は日本列島に中国大陸から朝鮮経由でやってきた豪族の一つです。出雲大社が祀っている大国主大神(オオクニヌシノミコト)のほうは別系列の豪族なので、参拝の仕方も神社の作りも違うそうです。いずれにせよ、神社に初詣に行くなんてことは、天皇を中心とした国造りをしようとする、つまり、絶対王政を復活させようとする明治政府直系の自民党議員の陰謀とも言えますから、私はできるだけ近づかないようにしています。神道には教義すらないので、仏教やら道教などのパクリになっているだけです。かなり不完全なパクリでできたカルトです。

神社というのは女性器を模したものであることを知れば、無下にはできないものであることは認めます。鳥居はヴァギナ、参道は産道、お宮は子宮であって、しめ縄は卵をたくさん生む蛇の交尾の様子を再現したものです。そんな建物に参拝し、子宝に恵まれることや、子孫繁栄を願うシステムは人間の人間たる要素の反映であると評価できます。しかしながら、商売繁盛やら武勲を立てることを祈願するような稲荷神社や八幡神社のようなものは、まさに邪道だと思います。

島田先生が指摘されている通り、鳥居の真ん中の道は神様が通るところだから、人間は端を通らないといけないというしきたりも出どころのあやふやなものです。もしそうなのだとしたら、すでに参道は汚されているわけですから、神様は通れませんし、人間も立ち入ってはいけないということになります。論理的に考えたらわかりそうなものです。インチキなしきたりを思考停止状態のまま従い、また金まみれの薄汚い人たちが、宝くじが当たりますように、大学に合格しますようになどと現世利益を願って集まるような施設に足を踏み入れるのは憚れます。神道が宗教であるとしたら、人間の苦しみを救済するような方向を向いてほしいものです。何がパワースポットですか。あれは宗教学者の中沢新一が言い出したもので、オウム真理教事件の頃に、島田先生とともにオウムをかばって干されたことをみなさん忘れたのでしょうか。同時に、「パワースポット」も言われなくなったのに、またもや復活してます。ひどすぎます。

子供の頃、さまざまな英語教師たちに、日本人は無宗教(atheist)だと外国人に言うと怖がれるので、仏教徒(Buddist)だと答えろと教えられました。あれは間違いの元だと思います。自分たちの宗教について何も考えなくさせてしまう思考停止状態を作ってしまった元凶になっています。

宗教というのは、西洋的な文脈では、砂漠の砂粒のような個人と個人とを結びつけるための装置であり、さらには現世での苦しみから人々を救済してくれるものです。それがあるから、コミュニティーも人類も消滅せずに生き延びてこられたのです。ところが、そういう宗教観もない日本人は、12月24日にはクリスマスを祝って、ケンタッキーフライドチキンを食べて、正月になったら神社やお寺に行き、餅を食べて喉に詰まって救急車で病院に運ばれたり、今度は葬式になるとお坊さんを呼ぶというメチャクチャなことをするようになってしまったわけです。むしろ、そちらの無節操な宗教観のほうが外国人には怖いと思います。首尾一貫性がなにもない出鱈目な考え方の人を信頼できるでしょうか。私はできません。

キリスト教徒が教会に足を運び、宝くじが当たりますようにと、キリスト像の前でひざまずいて祈るのでしょうか。イスラム教徒もモスクで良縁に恵まれますようになんて、地面に額を擦り付けて祈るのでしょうか。ありえませんね。そのありえないことをしている日本人の腐った性根をより腐らせているのが神社ですよ。神社はすでに汚れているのです。