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20年後の未来 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

今朝は5時起きです。でも、まあまあ寝られました。ちゃんと大学に行って対面授業をして帰ってくるだけでかなり疲れるので寝られるのかも知れません。動くことは大切ですね。

今日は3コマのリアルタイムのオンライン授業の日です。1つはオンラインでのテストです。今日が終わると少しは楽になります。ただ、学期末なので今週と来週は地獄です。辛いのは教員だけではなく、学生も同じです。

昨晩は、相変わらず過酷さを味わっている長男が目下注力している就職の面接の資料の作成の手伝いをしました。息子は自分の専門についてわかりやすく説明するのが難しいようで、私みたいな素人の視点が必要なのです。若い奴らにありがちなのですが、難しいことを難しく語りがちなので、「要するに、どういうこと?」というツッコミを何度も入れながら、私自身内容を理解していくのが手間でした。文章の内容としては、大学時代に何を学んで、それが将来何に役立つ可能性を秘めているのかを説明するものです。常套手段ですが、全体から細部という逆三角形の構図を組み立て、そこに過去から未来という時間の流れを組み込みました。文章の完成度としてはいまいちですが、人事担当者に読解力があれば、比較的高い評価がつくと思います。

それを書き上げた後、20年後はどういう社会になっているのかという文章を書く手伝いもしました。現状分析から、原因の究明、結果の予想という展開になる予定です。昨晩は時間切れになってしまったので、息子は今日その文章を自分で書いて、それを今晩私が添削する予定です。10年後の社会は大して変わっていないとは思われますが、20年後は大きな変化が起きている可能性があります。絶妙な時間設定だと思います。就活生が生まれた20年ほど前から、現在を挟んで、20年後を考えるなんて、なかなか粋な質問です。

私の考えとしては、20世紀に始まった大きな流れ、国際化ではなく、グローバル化がよりいっそう加速すると考えています。さまざまな境界線が消失していくということです。国境だけではなく、文化、人間とAIロボットの境目も曖昧になっていくはずです。そして、それに対応する科学技術も着実に進歩していき、ライフスタイルも大きく変化していると思います。

1965年の大阪万博が描いた近未来が華々しく展開される一方で、もっと心の豊かさを地味に追求する側面も強化されることが予想されます。労働がロボットに取って代わられた後に、人間がすることと言えば知的労働と精神的な活動しかないからです。いまはまだなんだかんだと言っても物理的な側面ばかりが重視される時代です。精神的なの豊かさはないがしろにされています。コロナ禍でそれが顕著になりました。五輪の強行開催は、いまの日本の為政者たちは、国民の心を豊かにする文化よりも、自分たちの懐を豊かにする利権を重視していることの象徴的事件です。その反省が行われ、いまだに旧石器時代を生きる自民党的価値観の人間はきれいに放逐され、20年後には五輪なんて跡形もなく消え去っている可能性もあると思います。ついでに言うと、サッカーのワールドカップもなくていいものです。すでに、ナショナリズムやインターナショナリズムの時代は終わっているのですが、それに人々が気づいていないだけです。