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私も「発達障害」? [雑感・日記・趣味・カルチャー]

発達障害 - Wikipedia

私も軽い「発達障害」を患っているのかもしれない。

「発達障害」の定義は、その他多くの心理学的な用語の定義と同じように、科学的な正確さを欠き、すこぶる恣意的なものであり、たいていどんな人でも「発達障害」の罹患者であると分類できてしまうように思える。

Wikiによれば、発達障害者の一部は挑戦的行動(Challenging behavior)という習慣を抱えいるとされ、発達障害者が行う挑戦的行動の原因には、次のような多々の要素があると説明されている。

生物学的 - 痛み、薬、感覚刺激の欲求
社会的 - 退屈、社会的関係の模索、何かのコントロール必要性、コミュニティ規範についての知識欠如、スタッフやサービス係の無反応に対して
環境的 - ノイズや光などの身体的要因、欲するモノや活動に対してのアクセス獲得
心理的 - 疎外感、孤独感、切り捨て感、レッテル、ディスエンパワーメント、人々の負の期待


私の場合、心理的な原因が強いように思われる。私は「疎外感、孤独感、切り捨て感」を常に意識している状態に置かれているからだ。それが原因となって時折、攻撃的な発言が出てしまうこともあるに違いない。

存在そのものが認められていないような気分、つまり誰からもリスペクトされていないような感覚にさらされ続けているので、そのことがよりいっそう私の孤独感を深めてしまう。自分のことしか考えられない人たちに周囲を取り囲まれているように思え、集団に不潔な感覚を覚え、集団から離れることを強く望むのだ。そこから、自分以外の者を「愚かな大衆」呼ばわりし、軽蔑する傾向が生じる。

私のネガティヴな性格は、やはり、私が発達障害であることの結果なのではないかと思う。

もちろん、私は社会性が完全に欠如しているわけではない。ふつうに学生たちとも同僚たちともコミュニケーションの支障もなく、彼らを傷つけることもなく、平穏無事に暮らしている。

私は本当は「発達障害」を患っているのであるけれど、それを表に出さないだけの能力も備えているといるのかもしれない。しかし、その能力も年齢とともに劣化し、私の人間性を蹂躙する複雑な社会からの孤立と忌避を選ぶ可能性が高い。

大人の発達障害 チェックリスト : 発達障害とは - 株式会社Kaien

このチェックリストを点検してみると、私が大人の発達障害者であることが明確になる。

私は「おっちょこちょい」で、マルチタスクが苦手なので、ADHD(注意欠如多動性障害)の可能性がある。

「うわさ話や陰口がどうしても許せないし、自分でも言わない」(ブログは別!)し、「会話をするときに相手の目を見て話すことができない」し、「悪気はないのに事実を言ってしまい、相手との関係性が悪くなったりしたことがある」し、「飲食店など大勢の人がざわついている場所では、相手との会話が聞き取りにくい」ので、アスペルガー症候群(AS)・自閉症スペクトラム(ASD)かもしれない。

また、「身体を動かすことが苦手で、特に野球やサッカーなど球技は嫌い」なので、発達性協調運動障害であることは確実である。

ただ、このリストは、どこかしら誰にでも当てはまるように書かれていることも明確だ。いわゆる「バーナム効果」くさい。安易に信じてしまうのは、危険だと思う。