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郵便局や教科書会社には腹が立ちます。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

ようやく学生のエッセイを読み終え、評価もつけ終わりました。ダラダラと作業をしつづけて、3日もかかりました。おかげで私の休日はすっかり台無しです。どこにも行くことも出来ませんでした。腹立たしくて仕方がありません。

しかも、その腹立たしさを増幅させる出来事がありました。私が在宅中に郵便配達の人が書留を届けに来たようなのですが、私はまったく気づかなかったため、持ち帰ってしまいました。結局、私は再配達をお願いする羽目に。

私は、義父に似て年々顔と性格が凶器化している妻から逃れるために、もっぱら一階の書斎兼寝室にお籠もりしています。部屋のドアもぴったりと閉めています。ドアフォンは二階にあり、一階と二階を仕切る階段の入口のドアを閉めると、妻の声も妻が見るテレビの音もピタリと聞こえなくなります。それは良いのですが、ドアフォンの音まで聞こえなくなるのが不便です。そのため、私が家族の中でもっとも玄関の近くにいるにもかかわらず、来客に気づかないことがあり、書留の多くは受け取りそこないます。

これは私の責任なのでしょうか。それとも郵便局のシステムが悪いのでしょうか。私は後者だと思います。いちいち本人や家人が印鑑を押すことを求めるような配達方式には意味があるのかどうか私には疑問です。再配達の手間を増やすだけではないでしょうか。

もしそのような郵便を届けるのなら、配達予定を本人に告げ、その後、受け取る側の人間に在宅させるか、または受取先や受け取り時間帯の変更をするべきでしょう。そのような手続きを取る間もなく、いきなり届けに来て、不躾なことに持ち帰ってしまうのは、きわめて不愉快です。

この制度は、いったい「誰得(だれとく)」なのでしょうか?

私は玄関先に簡易的な宅配ボックスを設置しており、私や家族が不在のときには、宅配業者はその箱のなかに荷物を入れておいてくれます。宅配ボックスに入らないほど大きい荷物の配達はまれなので、不便を感じることはありません。

しかし、郵便局の書留の類は、いつも嫌な気分になります。はっきりいって迷惑です。

今回の書留は、ふるさと納税の返礼品のモンベルの「金券」なのですが、そのようなものなら、なぜ事前に配達の予定を私宛にメールしないのか不思議でなりません。

佐川急便だったと思いますが、すでにそのようなサービスを行っています。可及的速やかに、郵便局も同じようなサービスをすべきでしょう。ほんとうに、郵便局にはいつも腹が立ちます。

腹立ちまぎれについでに言わせてもらいます。この時期になると、教科書会社が大量にカタログやら教科書の見本やらを送ってきます。そんなものはみなオンラインで済ませればいいのです。なぜ紙媒体を送ってくるのか、理解できません。その多くは使い物にならないレベルの教科書ばかりです。たまりすぎると、資源ゴミとして廃棄するのが面倒になります。

現在、多くの大学の授業は、教科書を学年全体で指定するのが一般化して、教員が各自の趣味で選ぶことができなくなっています。個人的には教育の退化だと信じますが、日本中知性の劣化が起きているので、仕方がありません。ともあれ、そのような状況を考慮にいれれば、教科書を送ってくる行為は無駄としか言いようがありません。

とはいえ、オンラインのカタログにも大いに問題があります。ウェブのカタログも、紙媒体のカタログと同様に、教科書の概要と目次しか読むことができず、実際の中身を閲覧し、検討することができないのです。

私がもし教科書会社の社長なら、ただちに改善を命じていることです。しかし、旧来のやり方に固執する頭の固いオジサンたちが、お金と資源の無駄遣いを続けているのでしょう。

郵便局も教科書会社も、こんなにも不合理なやり方をいつまで続けるのでしょうか。私はすでに何年も前から呆れかえっています。