SSブログ

葬式なんかする必要あるの? [雑感・日記・趣味・カルチャー]



もともと葬式というのは偉い人、お金持ちがやるものだったけれど、それがいつのまにか庶民もやるようになってしまったという話で、現在の葬式というのは、ただの文化的な儀式であって、宗教的な儀式とは関係がないのだそうです。だから、葬式をしないからといって、バチが当たるわけでもないそうです。そりゃそうですね。

また、死ぬと坊さんがありがたい「戒名」を多額のお金と引き換えにつけてくれますが、あれもまた変な話です。本来、戒名というのは、世俗の世界のものではなく、僧侶の世界のもので、師が弟子に戒(いましめ)を与えたことを示すための名前です。名前が変わったのだから、お前はもはや俗人ではない、世俗に未練を残してはいけないぞ、という意味です。

だから、戒名は、仏教徒でさえない俗人が与えられるべき名前ではないのです。戒名を俗人に与えるという習慣は、曹洞宗が(金儲けのために)発明したもので、それを他の宗派も真似したのだそうです。

「〇〇院」というのが上につけるのがありますが、あれは、本来、寺を寄進した人に付けるものです。その戒名が長くなったのは、金あまりのバブル期で、長い戒名をつけてもらうと、財力があることを示せるということで広がったのだそうです。いまどきの日本人の庶民はお金がないのですから、葬式なんかする余裕もないし、戒名なんかつけてもらう必要もありませんね。

うちの家は曹洞宗ですが、私は親から別に何を信じてもいいと言われています。ですから、何の宗教も信じません。無宗教です。

最近は、若い人の数が減ってきているので、葬儀業界に、ブライダル業界が入ってきているという話も面白いですね。ほんと、ちゃんと勉強しておかないと、カモにされますね。うちの母親なんか、500万円もかけて自分たちが入る墓を数年前に建立しました。事情があって、私は入れてくれないそうです。そんなお墓をつくる金があるなら、貧困に苦しむ私に恵んでくれればいいのにねえ。

島田先生の話を聞いて、私も葬式はしてもらいたくないし、戒名もいらないと思うようになりました。火葬して、骨をすりつぶして、ふるさとの海に撒いてもらえばいいです。ちなみに、撒く場所もどこでもいいわけではなく、沖合ではないと、管轄の自治体から苦情が来ると、以前、知人に教えてもらいました。

できれば、私はこの世に存在した事実を消してほしいですね。いなかったことにしてほしいです。写真も所持品もすべて処分してもらいたいと思います。単に、捨てるのではなく、私が死ぬ前に自らハードオフとか古本屋とかアマゾンとかで換金し、ご飯代にでもして「最後の晩餐」に使います。死んだ後は、「なんか、そんな人もいたような気もするけれど、記憶に残っていないなあ。」と言われたいですね。