SSブログ

Bach - Partita in c minor, BWV 826 - Piano Tutorial Synthesia [音楽・楽器]



半分のスピードにして、練習しています。ほとんど弾けませんけど。「パルティータ」は、分割されたものという意味だそうです。メロディを右手が担当したり、左手が担当したり、わけがわかりません。

若い頃、私の部屋にはグレン・グールドが演奏する「パルティータ」が流れていました。そういう人間ですから、ふつうの会社員にはなれなかったのでしょう。グールドは、人混みが嫌いで、31歳だか32歳で演奏会を引退し、その後はカナダの生まれ故郷の田舎に蟄居し、録音媒体を中心とする音楽活動をしていたクラシック音楽界では変わり者のピアニストです。私はいまだに彼みたいな隠遁者に強い親近感を持ち、かつ憧れています。私は来年彼が死んだ年齢になります。そろそろ死んでもよいのかなとなんとなく思っています。つまり、今日死んでも後悔しないという意味です。

話を戻しますが、もし会社員の道を選んでいれば、今頃「勝ち組」の生活を送っていたかもしれません。だとしたら、貧乏人を見下す下劣な人間になっていた気がします。高級な輸入車を乗り回し、正義感に駆動された「あおり運転」をし、湾岸のタワーマンションの上層階に住み、使い切れないほどの金の力にまかせて頻繁に海外を訪れ、まるで自分は世界のすべてを知っているかのように振る舞っていたかもしれません。ゾッとしますね。

そう考えたら、今の赤貧洗うが如き生活の方がまだましかもしれません。

話は完全に変わりますが、日韓関係の話です。私は基本的に日韓の紛争にまったく興味はありませんし、同僚にも韓国人の友人が何人かいますが、当然ですが、彼らに対して憎悪の感情を一切持っていません。私の知り合いではない韓国人に対しても、付き合いがないので、恨みを抱きようがありません。

そんな私の目からは、安倍政権と文政権の争いは、バカ同士の口喧嘩に思えます。以前、電車の中で酔っ払いのオジサンが素面の若者に絡んでいるのを目撃したことがありますが、二人は真剣に喧嘩をしているように見えるのですが、話がまったく噛み合っていないし、溝にゴミの溜まったアナログレコードのように同じ部分ばかり再生するので、口喧嘩の内容を傍で聞いていて笑ってしまいました。話をよく聞くと、どちらも言っていることは間違っていないのです。しかし、言い方や態度が不躾なのです。だから、なぜ喧嘩をしているのかまったくわからないのです。日韓紛争は、そんな酔狂な奴らの滑稽な喧嘩に似ています。

韓国の歴史は、悪辣な日本から独立を勝ち取ったというのがスタートですから、反日にならざるをえないというのはわかります。アイルランドも大英帝国の支配から独立した国ですから、反イギリスの姿勢を貫いている国民もいるようです。しかし、国家としては、そんなことにはこだわらず、未来を見据えています。イギリスへの憎悪がアイルランド人の生きる糧にはなっていません。現在の首相は、インド系アイルランド人で、しかもゲイですから、かなり先進的です。

それに反して、韓国はいまだに日本からの(嘘の)独立物語にこだわり、政権の支持率が下がると、反日を煽って支持率を上げようとするのですから、大人げないと思います。そろそろそういう姿勢は捨て去って未来志向の関係を構築する努力をしたほうが良いと思います。グローバル化の時代に、いまさら排斥的なナショナリズム(ショービニズム)を扇動するなんて、時代遅れも甚だしいです。

一方、安倍晋三や彼の政権を支持する人たちが「嫌韓」を煽って日常生活の鬱憤を解消するのもまた子供っぽいことです。彼らには個人的に韓国人に対して何の恨みがあるのでしょうか。私にも何もないですし、彼らにも何もないはずです。むしろ、仲良くすることで両国民にとって恩恵を受けることのほうが多いと思います。

いずれにせよ、反日や嫌韓を訴える両国の人たちは自分たちは客観的事実に基づいて冷静に議論していると思いこんでいるのでしょうが、彼らは無意識に排除、憎悪、恨み、呪いなどのネガティヴな感情に突き動かされているだけです。自分でもよくわからないけれども、イジメをしてしまうような不良の生徒と同じです。しかも、彼らは自分たちこそ正義だと信じ切っているのです。自分がしている行為はイジメではなく、正義に基づく懲罰だと盲信し、悪人を成敗してやっているのだから、なぜ自分が非難されなければいけないんだと逆ギレするのです。いじめっ子というのは、自分が間違っているかもしれないと考えることができないような、視野が極端に狭い人間です。そういう視野狭窄を正すのが教育なのですが、えてして、彼らは自分だけが正しく、親も教師も他人もすべて見下す対象なので、決して視野が広がらないのです。つまりバカなのです。

人類の歴史を見ると、そういうバカどもが駆動力になっているのが明らかですが、同時に、歴史の表舞台には出てきませんが、醜悪さからの解脱を希求し、邪悪な人たちを諌める動きもありました。バカどものように歴史に名を残すことはできませんが、穏やかに振る舞うことを訴えることこそが成熟した大人の態度ではないでしょうか。

百田尚樹みたいな頭の禿げたクソガキが、排他的ナショナリズムを扇動することによって視野狭窄の国民を一体化させることに、何の得があるのでしょうか。国民が憎悪の念で結束することで、誰が得するのか、我々庶民は冷静に考えてみることが必要ではないでしょうか。もちろん得をするのは、歴史に名を残す悪人(たとえば、独裁者)です。我々が歴史から学ばないといけないのは、実際に何があったかだけではなく、そういう姿勢ではないですか。

こういう腐りきった世の中から、私は隠遁したいと毎日思っていますし、できれば、あの世に行きたいとさえ思っています。うんざりします。




共通テーマ:音楽