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本物のミニマリストはエピキュリアンであるはず [雑感・日記・趣味・カルチャー]

コロナ禍の中で、少ないもので暮らすことを理想とするミニマリストをやめる人も出てきているそうですが、YouTubeを見る限り、まだまだたくさん生き残っています。彼らの多くはモノに囚われない生き方を実践しようとして、逆にモノにこだわってしまっているように見えます。本物のミニマリストというのは、何かに囚われず、心穏やかに暮らす人であるとするなら、その生き方はエピキュリアン的なものだと思います。私の目には、ミニマリストを名乗る人たちの多くは、偽物に映ります。

先に言っておきますが、私はミニマリストを名乗ろうとも思いません。ただ、不要なものを「やめる」「手放す」「遠ざける」というのは、心穏やかな暮らしを可能にしてくれる有効な考え方だと思うので、これからも実践していきます。人と一緒にいると疲れてしまう性格なので、都合の良い口実ができたという気分です。

ミニマリストを名乗る人たちの中には、持ち物を200点くらいに抑えている人がいます。カバンひとつで暮らしているような極端な人もいます。まさに原理主義者ですね。彼らはノートパソコンがあれば仕事ができるような人で、生活を豊かにしてくれる趣味を持っていません。仕事を趣味とする昭和のサラリーマンみたいな人たちです。

彼らの動画を見ていて感じたのは、その人がミニマリストであるかいなかは、モノの数ではなく、生き方の観点で判断すべきだということです。YouTuberの中には、持ち物の数が少ないことを競い合うゲームに興じているだけの人もいます。それは逆にモノ(の少なさ)に囚われているということです。モノが敵であるかのように錯覚し、モノが増えてくると罪悪感を抱くような人は、モノへの執着があるということを示しています。自分の生活の中でのモノの存在が大きすぎるということは、自分の人生の主人公はモノのほうであって、自分は脇役に過ぎないということです。本質を忘れて、「減らすことが正義」みたいな考えは持続可能な生き方なのかどうか、私には疑問です。一生その生活を続けるつもりなのでしょうか。

私が考えるミニマリストは、自分を生活を豊かに、そして幸福にしてくれるものだけを周りにおいて、余分なもの、不要なものを遠ざける姿勢の人だと思います。モノの数は関係ありません。持ち物をいくら厳選していても、そのモノに触れたときにアドレナリンやセロトニンやオキシトシンなどを出してくれないのであれば、それは不要品です。いくら物が少なくても、持ち物に不要品が一つでも混じっているなら、ミニマリストとは呼べませんし、モノを中心に考えていることそのものがミニマリストではないと思います。

ミニマリストを名乗っている人の中には、単に散らかった部屋を片付けたり、不要品の片っ端から捨てることが楽しいと感じているだけの人もいます。無印良品の整理収納グッズで部屋をモノトーンにするだけで満足している人も多いです。彼らは消費主義に振り回されているだけか、整理整頓術みたいなマニュアルにしたがって生きているだけで、そのスキルを生き方のレベルまで引き上げられていないようです。物を大事にできないだけの人かもしれません。彼らも偽物のミニマリストです。見せかけだけの薄っぺらい人間なんでしょう。いずれも付き合いたくない人間たちです。

いかにモノにあふれている部屋であろうとも、その主はどこに何があるのかすべて把握しており、探しものも瞬時に見つけることができたり、その部屋がその主を幸福にさせる空間なのであれば、他人の目からは汚部屋に見えても、それこそが無駄のないミニマリストの部屋なのだと思います。無駄に見えるアイテムがその部屋を無駄な空間にはしていないということです。

ミニマリストの多くは削ることが自己目的化しています。無駄な付き合い、無駄な待ち時間、無駄な買い物、無駄な仕事など、自分を不愉快にさせる無駄を省いていくと、幸せになるという新興宗教にハマっているだけです。気持ちが悪い宗教です。

無駄の基準は人それぞれです。二人の片方にとって無駄だと思える人間関係は、相手にとっては無駄ではないかもしれません。無駄な買い物や無駄な仕事も無駄な時間も、何かを発見することにつながるかもしれません。そういう「無駄」を一方的に無駄だと決めつけ、無駄にすることがミニマリストなのでしょうか。自分が無駄にしていることすら気づかないのだとしたら、頭が悪いと思います。彼らはできの悪いサラリーマンが大好きなビジネス本に書かれているような効率優先主義に囚われているだけではないでしょうか。無駄を減らすとお金持ちになれるとか言っているミニマリストは、くだらないビジネス本を読みすぎているんだと思います。

私が理想とするミニマリストは「こだわり」がないという人です。なにか一つのことに執着していること自体がミニマリストの定義から外れているという意味です。理想は、「断捨離」という概念にすらこだわらない、自由奔放な生き方の実践です。それは純粋な意味でのエピキュリアン的な生き方です。エピキュリアンという言葉は、快楽主義者とか享楽主義者と訳されて肉体的な快楽を追求する人たちのように誤解されていますが、本来は世の中の煩わしさを逃れて、心の平安を大切にする生き方を実践する人たちのことです。ストイックの語源になったストア派とは対立する概念です。私の目にはミニマリストの多くはストイック過ぎると思います。私はバイオリンやピアノを弾きながらキリギリスのようなエピキュリアンを目指します。

私が困っているときにアリが助けてくれなければ、「このケチなアリ野郎め! 地獄へ落ちろ!」と罵って死んでいこうと思います。そのときまで、何にも囚われることなく、穏やかに暮らしたいと思います。難しいですけどね。

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