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学生を信じろと言われてもね [雑感・日記・趣味・カルチャー]

自粛より「萎縮」 学生を信用できない大学の惨状 | 47NEWS

大学は学生を信じて対面授業を再開せよと、年度末に言われてもねえ。賛同する者はただの1人もいないでしょう。あと1、2回で後期の授業が終わる大学もあるんです。しかも、感染者が激増していて、それまで対面授業を強行していたところも急に取りやめてオンライン授業に戻しているくらいなのに、そういうタイミングを考えても、この記事を書いた大学通信常務取締役の安田賢治氏は文科相の萩生田光一並に頓珍漢だということがわかります。もしかしたら萩生田光一に忖度しているのかもしれません。どっちが「惨状」なんでしょうか。

学生を信じろと言われても、元学生だったはずのこの人みたいな感覚のおかしい学生が大学にはゴロゴロいることは否定できません。「他人の文章を盗用することは当たり前、ネット社会だもん」みたいな学生が必ず1クラスには数名います。教員を馬鹿にしているのか、それとも、教員を騙せていると勘違いしている馬鹿なのか。いずれにせよ、そういう本物の「泥棒」がいるんですよ。全員を信用しろと言われても、全員は信用できません。無思慮な学生たちがスーパースプレッダーになる可能性も大いにあるわけで、彼らの愚行のせいで大学の評判が落ち、また地域住民に迷惑をかけたら、さらには死者まで出したら、どうなるんでしょうかね。責任は誰が取るのでしょうか。安田賢治氏に取れるのでしょうか。この人は口だけの人なんでしょう。

大学生は(未熟ではありますが)年齢的には大人ですから、酒を飲む場所にも出入りします。小中高生とは違うのです。対面授業に戻せば戻したで、ウイルスが怖いから通学したくないという学生も一定数出てきます。現にいます。その対策も同時に取るということは、そうではなくても、オンライン授業で負担が極端に増えている教員をよりいっそう圧迫します。このような浅薄な内容の主張をする人は近頃めっきり減りましたが、いまだにこんなことを言って大学批判をしている愚かな人がいるんですね。この方は、朝から番までコタツの中でぬくぬくとしながら、ワイドショーやらお笑い番組を見ながら、ふと「自粛より萎縮」なんて言葉遊びを思いついて、「おお、これは大学批判のネタになるなあ、むふふ」と薄ら笑いを浮かべながら、こういう憂いを吐露してみたのでしょう。この手のオヤジがゴロゴロしている日本の「惨状」を見る思いがします。

初詣コロナ禍で様変わり 「密」避けようと年内に前倒しや分散呼び掛けも:東京新聞 TOKYO Web

「分散参拝」だなんて、また変な言葉を思いついたものです。飲食店には「自粛せよ」、国民には「旅行には行くな」というのなら、「信者」に対して「参拝するな」と言うべきでしょう。分散参拝をしろというのなら、旅行も分散して行けとか、飲食店には「ぼっちで」とか言えばいいじゃないですか。「信者」ではない私は特に神社が苦手なので、妻に誘われても初詣には行かないつもりです。参拝したところで、ご利益なんてあるはずもないのですよ。絶対にないのです。絶対に。ご利益があるのは、参拝される側の神社仏閣と、その周辺の商店街と鉄道会社だけです。江戸時代には初詣の習慣はなかったし、日本の伝統でもなんでもありません。成田山新勝寺と京成電鉄の考えたビジネスモデルだという説があるくらいです。初詣なんて本当に時代遅れも甚だしいと思っています。近頃はネットで参拝できるところもあるので、そんなに参拝したいのなら、ネットを使ったらいいと思います。神主も人間ですし、心の腐ったやつもたくさんいるんです。そういえば人殺しをした神主も数年前にニュースになりましたね。うちの近所の神社の神主なんて、本当に尊敬に値しません。金の亡者です。以前、私は「厄除け祈願をしないと悪いことが起きますよ。実際に厄除けをやらなかった男性が43歳で亡くなった例もあります」とその神主に脅されたことがあります。厄除け祈願をしなかったから、43歳で死んだかどうかなんて誰にもわかりません。そもそもそんなものの因果関係なんて誰にも証明できません。彼らは頭の悪い一般庶民を脅して商売をしているのです。そんなに詐欺師になけなしの稼ぎを貢ぐようなのは極めて愚かしいと思います。社会貢献にすらなりません。伝統を守ることにもなりません。人はいろんな考えがありますから、参拝するのは勝手ですけど、私は神社やお寺の役割は完全に終わったと思っています。葬式だけで飯を食っている生臭坊主より、薬を出しまくって金儲けをしている精神科医に貢ぐほうが100倍よいお金の使い方だと思います。そのほうが科学や学問の発展に繋がりますからね。

鳴りやまぬ電話、重なる業務「保健所も機能停止の恐れ」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

医療ひっ迫 感染20万人に迫る - Yahoo!ニュース

「大学は対面授業を再開せよ、萎縮するな、このヘタレ野郎!」と大学を非難する先程の人は、いかに周りを見ることができない人かがよくわかると思います。民主主義社会を維持・発展させ、社会貢献ができる人を学問を通じて育てていくのが大学の役割です。大学の中心にあるのは「学問」であって、小中高のような「教育」ではありません。自ら問いを発し、学んでいくことを通じて、視野を広く持つことを目指しているのです。また、大学は社会に迷惑を掛ける人間を育てるところではありません。ましてや一般庶民にバッタモンを売りつけて金儲けをする方法を教える就職予備校でもありません。教員が学生のコミュニケーション能力を育ててやる場所でもありません。コミュニケーション能力のあるのは当たり前です。そうではない人は「問う」ことすらできませんから、大学に行く資格が最初からないのです。医療崩壊しても別に俺は健康だから気にしないという人や、経済のほうが重要だと言っている人は、大学で何も学ばなかった人なんでしょう。視野が狭すぎます。

菅首相“8人ステーキ会食”のモヤモヤ 欧州では閣僚続々辞任|日刊ゲンダイDIGITAL

与党の政治家は、自分勝手なルールを作っておいて、それを「国民」に守らせようとしますが、自分たちは「国民」ではないので守らなくてよいと思っているふしがあります。「国民の意見を耳を傾ける」とか、「国民のために働く」とかいう言葉を聞くたびに、「お前も国民の一人だろうが!」、といつも私はツッコミを入れています。奴らは自分は「日本国民」ではないと思っているに違いありません。もうそろそろ自民党のカルト議員は、北朝鮮か中国にでも移住したほうがいいんじゃないでしょうかね。彼らの理想はあちらではすでに実現しているのですから。

菅総理自身は、国民のために働くと言っているのに、政権に忖度するのが得意な政治評論家とかお金持ちの有名人(セレブ)と会食を楽しんでいます。私のような貧乏な一般庶民(=搾取されている奴隷)の意見には一切耳を傾けません。「国民」の声というのは、国民である私の声やあなたの声ではないのです。国民である自民党の国会議員の声や彼らに都合の良いことを言ってくれる人の声なのです。自民党の政治家の詐欺につきあわされている民度の低すぎる日本人は、もうちょっと真剣にものを考えたほうが良いと思います。