SSブログ

3種類の勉強 [資格・学び]

勉強には3つの種類があります。

1)生活費を稼ぐための仕事ができるようになるための勉強
2)仕事をして社会貢献をするための勉強(民主主義社会を維持発展させるための勉強)
3)自分や他人の精神を安定させたり、豊かにするための勉強

1に関しては誰でもわかっているものですから、いわずもがなです。2に関しては意識していない人が大多数だと思います。「数学とか歴史とか勉強していったい何の役に立つの?」などという素朴な疑問をおとなになってまで持ち続けている人は絶対にここがわかっていません。数学の証明問題や物理の実験や小説の読解によって我々の論理的思考力を養われ、その基礎的なモデルを応用して物事の是非を正当な手続きを経て判断する人間へと成長できるのです。そんな人々が民主主義を基盤とする国家の維持発展に貢献する人材になるのです。その事実にまったく気づかない人が圧倒的多数でしょう。選挙は面倒だから行かないとか言っている連中は、確実にそのタイプのバカです。

3に関しては、この30年ほどの間に急速に意識されなくなったものです。文学や哲学の地位が極端に下がったことは、それを強く反映しています。文学や哲学をアメリカンコーヒーのように水で極端に薄めたものが心理学や行動経済学です。恐竜が鳥になったように、その形で文学や哲学は生き残ってはいますが、絶滅の危機に瀕しています。我々はどう生きていけばいいのかという答えのない問題を日がな一日あーでもない、こでもないと考えることを忘れてしまったせいで、高いお金を払って心療内科に行って、医師の診断を仰ぎ(愚痴をこぼし)、薬を買って買えるというライフスタイルが定着しつつあります。その劣化版が占いや新興宗教(カルト)です。陰謀論もその仲間です。

20年以上前から、3つ目の勉強の価値が不当に過小評価されていることに私は強い危機感を抱いています。本当は危機感なんていう生易しい感情ではなく、絶望を感じています。

文学や哲学の復権は、お金と権力にしか興味のないポンコツな政治家しかいないような国家ではもはやありえないでしょう。安倍菅を含め、歴代の総理大臣はみなあまりに教養がない人たちばかりです。国語教育から小説を排除するような、あまりにも愚昧な人間が文科大臣であるなんて、私には信じられません。狂気の沙汰です。この事実を知らない人が大勢います。それも信じられませんし、私は人々の無教養も許しがたいと思います。