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遠近法(パースペクティヴ)の檻の中 [資格・学び]

東京都の人口は13,942,024人。累計の新型コロナウイルス陽性確認者は134,538人ですから、106人に1人が新型コロナウイルス感染症にかかったことがあるか、または現在かかっている人です。

たとえば教師のように人間関係が広い人なら、すでに身近に感染者がいるのがふつうになっている状況でしょう。家族や知り合いを合わせても10人程度の人としか付き合わない人なら、感染者に遭遇する機会はその10分の1に下がりますから、感染者には会ったことがないのは当然であり、その危険性を認識できないのもある意味仕方がありません。

しかしながら、「自分の周りには感染者がいないから、大丈夫だ」と強引に言い張る人や、「新コロは存在が証明されていない」と意味不明の主張をする人がいまだにいることは、きわめて残念です。

彼らは自分が遠近法(パースペクティヴ)の檻の中に閉じ込められていることに気づけない人なのでしょう。知性のなさを感じます。

人間は愚かな生き物なので、自分に近い存在は価値があるものであり、自分から遠いものは価値の低いものと見なしがちです。家族は大事だけれど、遠くの国の人が死んでもどうでもいいという感覚です。そもそも、彼らは遠くの国の存在など意識さえしません。彼らのような視野狭窄者はえてして「愛国者」を自認しがちです。しかし実際のところ、差別主義者のネトウヨになるのが関の山です。人間というのは、そういう愚かさに長年苦しめられてきました。

20世紀の初期において、パブロ・ピカソなどのアーティスティックな知性(芸術家、作家、音楽家ら)は、遠近法(パースペクティヴ)の檻から脱獄しようと奮闘しました。それは、自分の視界に入っていないものは存在していないとか、無価値なものだという発想から大量殺人や人種差別などが起きたことへの強烈な反省に基づく衝動です。想像ができなければ、キュビスムの絵を思い起こしてください。

ところが、21世紀に入っても、いまだに人類は脱獄できていないのです。100年経っても人類は獄中生活を送り続けており、自分たちが獄中生活を送り続けていることにすら気づく客観的な視点を持てないのですから、あまりに情けないと思います。テレビやインターネットの中で、自分勝手なことを大声でギャーギャーと叫んで人たちを見れば、彼らが檻の中のサルにしか見えなくなると思います。世界中で、人類はサルに戻っているのかもしれません。白人によるアジア人への人種差別が復活しているそうですが、それこそ人類がサル化している確たる証拠です。そんな連中は絶滅したほうが良いと思います。


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