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『童神 / 古謝美佐子』チェロアレンジ Acoustic cover by 安慶名愛 [音楽・楽器]



古謝美佐子さんの「童神(わらびがみ)」を聴くと、心が洗われます。命の大切さ、愛おしさをしんみりと感じます。

このアレンジの主役はたしかにチェロですね。高さのある石をカウンターのスツールのように利用して腰掛けて演奏する人は初めて見ました。格好いいです。エンドピンを最長に伸ばせば、ああいう姿勢で弾けるのですね。

今日は午後から仕事です。今日もインチキ「ハイブリッド授業」をしないといけません。「ハイブリッド授業」とは、対面授業とオンライン授業を中途半端に組み合わせたものです。機材が急ごしらえであるために、板書をしてもそれをPCのWEBカメラで映せませんし、PCも数年前のものなので、性能が非常に悪く、遅くて使い物になりません。新たにウェブカメラやマイクやらつないでしまったので、USBポートが全部埋まってしまって、USBメモリーを差すためのポートがなく、ウェブカメラだかマイクのコードを引っこ抜いてから、USBメモリーのデータをコピーして使っています。もうめちゃくちゃです。

さらに授業の方法にも不都合が生じています。小テストは対面の学生にはできますが、オンラインの学生にはほぼ意味がないという状況になり、成績評価の材料にも使えません。この分では期末テストをやろうにも、できないわけです。Google formを使えばいいのかもしれませんが、私の仕事が増えるだけです。面倒です。こうなったら全員に宿題(課題)を出すしか方法がありません。だったら、オンライン授業で十分です。

教育には無関心で無知な萩生田光一文科相の言いなりでハイブリッド授業が導入されましたが、そのちゃんぽんスタイルが教育に新風をもたらす画期的なアイデアであるかのような錯覚している人たちがいます。しかし自分でやってみればわかりますが、最悪のスタイルです。リアルタイムのオンラインのほうがはるかにましです。私の周りの教員たちは私と同意見です。ハイブリッドはオンラインの学生と対面の学生の両方に気を使わないといけないので、教員は教えることに集中できません。なんのためのハイブリッドなのか、文科省や大学には考え直してもらいたいです。頭が悪すぎます。

大学がハイブリッド授業にいたずらにこだわるのは、保護者からの圧力と文科相からの圧力をかわすためであり、文科省からの助成金目当てです。要するに、カネが大事なのです。教員のことも、学生のことも一切考えていません。教室で教師が学生数名を相手にして、その授業風景をzoomなどで残りの学生に中継すれば、対面授業をしているとカウントされるのでしょう。対面授業を7割実施しているなどと保護者や国に報告し、印象を良くしようという魂胆ですが、騙されてはいけません。

実際、教員は、わざわざ教室に足を運んでくれた対面授業を受けている学生を優先するので、オンラインの学生は放置状態になります。話しかけることはほぼありません。そんなことをすれば、対面の学生が飽きてしまいます。そういう不公平をなくせと要求されるなら、最初からオンラインにしたほうが無駄がありません。

感染が拡大するこの状況で、わざわざ満員電車に乗って都心にやってきて授業を受けたいと思っている学生がどれだけいるのでしょうか。教員も嫌です。誰得なんですかね? 今日は大学に行きますが、GW明けの感染状況が改善しているわけがないので、そのときは大学側と交渉し、5月中はオンラインに変更させてもらおうと思っています。「人命より、カネが大事」という教育界の状況はあまりにひどすぎます。

大学はいつから、人命軽視の思想を学生に吹き込むところになったのでしょうか。国の直接的な支配下に置かれている小学校や中学校(や高等学校)は児童や生徒の人権が無視される場所であることは以前から知られていますが(特に中高の校則はキチガイじみています!)、一方、大学は、国が正しいと認めるものをすべて相対化することができる人間を育てる場所です。いまどきの大学関係者は、それをまったく理解できていないと思います。文科省が教育をビジネスとして捉えているくらいですから、この国の教育は終わったも同然です。

ついでに言いますが、こういう状況を追認するジャーナリズムの劣化も激しすぎるし、研究費を投入してこなかったために国産ワクチンさえ作れない状況にした(無能で想像力がない)日本政府は完全に救いようがありません。あまりに悲惨な状況です。日本人として恥ずかしすぎます。

「担当者のITリテラシーが…」小学校でのタブレット配布に対して批判が殺到 | citrus(シトラス)

日本にはこういうサルみたいな大人ばかりです。子どもたちがかわいそうです。 ♪サル、サル、サルぅ〜

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