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抵抗するより、楽しむことを優先したい [雑感・日記・趣味・カルチャー]

昨夜はFP3級の勉強中に遺留分について調べようと思っているうちに、ウトウトしだして、うっかり0時15分前に寝てしまい、『ゆく年くる年』を見逃しました。もともと見るつもりもなかったのですが。ちなみに前回も、前々回も見ていません。あの番組は場所と人が変わるだけで、パターンはいつも同じ。見ても見なくても見た気になれる不思議な番組です。記憶を頼りに自分の頭の中で再構成して、いつでも再生できるので、安上がりです。

昔は、人が祈る姿が美しいと感じていた時期もありましたが、私は年々、信仰心が薄れ、無神論者の色が濃くなってきているので、神社仏閣というのはできれば遠ざけたいものに感じられます。神社は、本来、子孫繁栄を祈念する場所だと思いますが、現在は人間の欲がもっとも露わになる場所になっています。現世利益を求める人たちでごった返す場所を美しいととらえる鈍い感性は私にはありません。

今朝は6時半に起床。おせちを食す前に、当然ですが妻が起きてこないので、パンとコーヒーで腹ごしらえをしておきました。いつもとかわらない土曜日です。

昨晩、どこのご家庭も大晦日特番や某公共放送の歌番組を見ていたのかもしれませんが、私は1秒たりとも見ていません。唯一、長男はリビングのテレビでクラシックコンサートを流しながら、ゲームに興じていました。若いピアニストが「トルコ行進曲」を生き急ぐかのように猛烈な速度で弾いていました。

次男もまたゲーム三昧。自室に引きこもっていたので、何をしているのか想像するしかありません。妻はおせち料理を用意するのに余念がなく、夜、顔を合わせる機会はありませんでした。

その間、私は何時間もピアノの練習をしていました。練習すればするほど、上手になっていくのを実感でき、楽しくなります。近頃はピアノとチェロばかり弾いています。ギターやベース、ウクレレ、三線、ヴァイオリンはたまにしか弾きません。もし練習する楽器を2つに絞れと言われたら、ピアノとチェロを残したいです。ピアノは子供の頃に教室に行っていたのですが、先生が怖くてやめてしまいました。それ以来、もやもやが残っていたのですが、今はある程度弾けるようになったので鬱屈した気分は解消しました。チェロは高校時代からのあこがれの楽器です。高校の音楽の先生が体育館でチェロの演奏をしてくださって、その響きを全身で感じた瞬間に、いつかチェロを演奏したいと思ってから早数十年。ようやくあこがれの楽器を手にすることができ、これまたある程度は弾けるようになり、満足しておる次第です。

五木寛之氏・年頭特別寄稿「新しい抵抗への予感」

「寝そべり族」という無気力な若者が中国で繁殖しつつあるそうです。彼らは「上昇志向も、積極的な勤労意欲もなく、物質的な豊かさも求めない。ミニマムな収入で、ごろりと横になって暮すという世捨て人的な生き方」をしているとのこと。貧困化を加速させる日本では流行しないでしょうね。若い人たちを見ていると、既存の社会への抵抗なんか微塵も感じられません。日々、生きていくことだけで精一杯です。私のような老人も同じです。チルアウトなんかしていられないのです。人生は短いです。そんな暇はありません。私は何かに抵抗して流れを止めるより、日常を楽しむことを優先したいです。

ところで、私のスマートフォンにはSmartNewsというアプリが入っているのですが、ユーザーの好みに合わせた記事ばかり掲載するので、片付け、断捨離、シンプルライフ、ミニマリズム、掃除の記事のインフレになっています。整理整頓好きなので、年内に整理収納アドバイザーやクリンネストの資格でも取ろうかしら、とさえ思うようになってきました。でも、そんなことをしていたら、時間がいくらあっても足りません。

話が一気に飛びますが、運気を上げるためには、ベッドカバーを明るい色にしろという記事をよく見かけます。グレーは選んではいけないというのです。私のベッドカバーはグレーです。部屋中も黒やグレーが多く、自分が身に着けている服や靴もグレーです。なぜグレーばかり選ぶかというと、それは目にやさしいからです。飛蚊症なので、背景が白だと、目の中に浮かぶチリが鬱陶しく感じられます。グレーだと背景に溶け込むので、集中力をさまたげないのです。明るい色のものに囲まれていれば、気分も上がり、それゆえ運気も上がると思えるのでしょう。でも、それは万人に当てはまるものではないのです。健康な人はそれでいいかもしれませんが、開運アドバイザーなるインチキ占い師の話を真に受けて、目に負担をかけながら生活するのは嫌ですよ。

他人の勝手な思い込みの発言に振り回されるより、自分が楽でいられるような生活を優先したいです。むりやり自分の趣味嗜好や考え方を他人に何かを言われたらと言って変える必要はありません。そういう他人軸から脱却することがこれからの生き方で重要なものになっていくと思います。

大学では授業評価アンケートなるものがありますが、私は一切気にしません。それを読んで自分のやり方を変えるということはいまだかつて一度もありません。私に文句を言ってくる学生に合わせていたら、私のやり方が合っている学生には不利益を与えることになります。どんなことでも万人に合わせることは無理なのです。万人向きのものはゴミです。

話がバラバラになりましたが、結局、2022年も自分がやりたいことだけやって生きていきます。ごちゃごちゃ文句を言ってくる奴がいても、無視します。


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