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久しぶりに本屋に行ってきました [本]

昼間、大学受験を来年に控えた次男と二人で近くのショッピングモール内の新刊書店に行って、英語やら国語やら数学の学習参考書を見たり、資格試験の本を見たりして、いろんなことを話して帰ってきました。私は数日前に出たばかりの『令和4年度版 いちばんやさしいITパスポート 絶対合格の教科書+出る順問題集』(SB Creative、2022年)を買いました。

息子のほうは英文のエッセイを読みながら語彙と作文の勉強ができる単語集を買いました。簡単な文章を読んで、内容を理解して、それを国語の小論文に活かしたいのだそうです。自分は教養がないので、こういう背景的知識を身に着けて、現代文の読解力もつけたいと言っていました。賢いですね。単語が羅列しているだけの単語帳でいくら単語を覚えても使える知識にはなかなかなりませんから、一石二鳥、一石三鳥を狙うその方法のほうが時間はかかりますが、むしろ効果的かもしれません。というか、効果的です。中身を見たら、私が大学1、2年生に教えているようなレベルの英語でした。これを勉強すれば、大学の英語なんか簡単だよ。我々の時代の大学の英語の教科書は難解なものもあったけど、いまはシンプルなものばかりだから、このレベルの英語がわかれば苦労しないよ」と言っておきました。

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ITパスポートという資格は世間一般では履歴書に書けるほどのものではないとふざけたことを言う人がいます。しかし、本の中身を見たら一目でわかりますが、なかなか難しいです。ちらっと読んだだけでは、何を言っているのかわからないところが3分の2分以上あります。こんなことさえ知っている人を私なら尊敬しちゃいますよ。

個人的には、夏休みに勉強できればいいかなと思っています。知らないコンピュータ用語が出てきたときにチラチラ見て少しずつ頭に入れていく作戦で行こうと思います。こういうのはいっぺんには頭には入りません。本を買うまでは、簡単なプログラミングの知識とかコンピュータの仕組みとか学ぶのかと思っていたら、それだけではありませんでした。最初は株式会社とは何かという話から始まります。間違って、別の資格の本を買ってきたのかと一瞬錯覚しました。

帰りの車の中で、いつものように次男といろんな話をしました。今回の話は、「~は役に立たない」という紋切り型のフレーズを多用する人は、基本的に無教養で無能だと思うという話です。「役に立たない」というのは主観的なものであって、客観的事実ではありません。役に立つかどうかを決めるのは、その人だけに許された特権ではないのです。当人が、役に立たないと思いたいだけかもしれません。そう言うことによって、何かの勉強をしようとしている人を自分より劣った状態に留めておきたいのかもしれませんし、単に自分自身が勉強したくないだけかもしれません。

「そんな資格は役に立たない。もっと上の資格を目指すべきだ」という人もいますが(うちの長男!)、たしかにそうかもしれませんが、上位を目指すなら、その前段階の勉強をしておくことはけっして無駄にはなりません。「東大に入るなら、東大の英語だけ勉強していればいいんだ。中学校の英語なんかやる必要がない。役に立たない」と言っているようなものです。ばかばかしいですね。

昔々、同じネタで同僚と議論をしたことがあるのですが、「役に立つかどうか」という判断基準は視界を曇らせるものであって、本来は役に立つか立たないかではなく、「自分がそれを役に立てるか立てないか」で見るべきだという意見で一致しました。何々は役に立たないという意味は、畢竟、自分にはその知識を役に立てる能力がない、私は無能な人間です、と表明しているに過ぎないということです。我ながらまともなことを言っていたと思います。

いまこの瞬間の自分には役に立たない知識かもしれませんが、環境が変わったときに急に必要になる知識かもしれません。そんなことは誰にもわからないのです。どんな知識でもそれに触れると、目が開かれることもあります。そういう貴重な体験を得る機会をケチ臭い判断基準でドブに捨てるほうがもったいないことです。私も若い頃は彼らのような意見に流されることがありましたが、今なら当時の私自身に「それは間違った考えだ」と説教してやりたいですね。

話が飛びますが、その書店についてGoogleで調べてみたら、「店員はアルバイトばかりで本について詳しくない」などというコメントがついていました。本屋の店員が売り物の本数万点をすべて把握しているとでも思っているのでしょうか。書店員たるもの、店内のすべての本を読んで内容まで理解していなければいけないかのような言い草です。「どこにそんな優秀な店員がいるんだよ。いるなら、ここに連れてこい!」と言いたくなるコメントです。けっこうめちゃくちゃな客はいますよね。私も店員のアルバイトをしたことがあるからわかります。現にそういう客から受けたカスハラはいまだに忘れられません! 小さな商店やコンビニくらいの商品点数ならまあなんとかどこになにがあるのかくらいはわかるかもしれません。さすがに大型書店のアルバイト店員にそういう芸当を求めること自体間違っています。いちいちそういう苦情を言う人というのはよっぽど教養のない人なんでしょうね。私だって、自分の専門に関わる研究書のすべてを読んだわけでもないし、読んだものだってけっこう忘れています。何々の専門家と名乗っていても、所詮その程度です。私だけではないはずです。

不平不満を他人に言う人というのは、相手への要求度が無駄に高いとメンタルヘルスマネジメントで学びましたが、本当にそうですね。彼らは、ああすべき、こうすべきという「すべき思考」にもとらわれているタイプでもあるそうです。きっと家族や知人にも法外な要求をする輩なのでしょう。困ったものです。

飲食店の口コミサイトである「ぐるなび」がそんな奇妙奇天烈なマインドの方々のせいで信頼を失っているそうです。「ぐるなびなんかいらない。Googleさえあればいいんだ」という評論家もいます。とんでもない勘違いです。ご存じのように、Googleも広告費を払ってくれたサイトを検索結果の上位に持ってくるし、口コミも操作しているはずです。営利目的なんですから、当たり前です。ぐるなびがダメなら、Googleだなんて主張する人はやはり同様に無教養な人たちなんでしょう。

お前だって無教養だろうという批判は甘んじて受けます。しかし、ソクラテスではないですが、「自分が無知であることくらいは十分に自覚しています。その点で、あなたよりは遥かにましです」と反論したいですね。

ついでに書いておきますが、私は英語を教える仕事をしていますが、いまだに英語を教えることを専門にしているとは思っていません。しばしば志の高い学生に「先生のおすすめの学習参考書を教えてください」と聞かれるのですが、「私は予備校講師ではないので、学習参考書の研究はしておりませんし、書店であれこれ買って読んでいるわけでもありませんから、どんな新刊が出ているのかなんてまったく知りません。ご自分でわかりやすいものを探してください」と事実を述べるようにしています。英語の先生はみな英語の学習参考書や英語の辞書に詳しいと思っていること自体が思い込みですよ。他には、(英語学習のために)役に立つおすすめの映画を教えてほしいというバージョンもありますが、「自分の好きな映画を英語字幕で見ればいいと思うよ」と言っています。映画の好みなんて人それぞれですからね。ゾンビ映画が好きなら、ゾンビ映画で英語を学べばいいじゃないですか。

話があっちこっちに飛びますが、今日のメンタルヘルスマネジメントの勉強は、YouTubeで関連動画を何本も見て、ああ、それ参考書に書いてあったことだ、そういうことだったのか、と確認していく作業をしています。単に過去問を解いて答えを暗記するだけなら、試験直前の1週間前からでも十分ですからね。考え方や用語の意味などを体に浸透させるというか、腹落ちさせる作業も必要です。



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