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英語の和訳は時代錯誤の試験問題なのか? [資格・学び]

英語の和訳は時代錯誤の試験問題なのか?

英文和訳、和文英訳は英語学習の基本ですから、京都大学や早稲田大学が王政復古をしたわけではないと思います。スキルのみを重視するビジネス界への警鐘という側面は確実にあるでしょう。

英語のみで授業するネイティヴの大学教員は当然いますが、彼らから吸収できることは極めて少ないことを、大学にいれば深く認識できているでしょう。無駄とは言いませんが、日本に来て教えているような英語のネイティヴスピーカーの教養のなさを度外視しているというか、認識できていない人があまりに多すぎます。

一方、日本人の教員もいまはスキル重視の教員に置き換わっています。教養などまったくありません。かつて企業にいたことや、高校教員だったことを自慢げに語るような実務家ばかりです。実務経験が重視される時代になって、教養は不要という時代になりつつあります。したがって、教養を重視する私のような教員は部屋の片隅に追われ窓際族になっています。実務家教員が選んだ、恐ろしくつまらない教科書を与えられて、事務的に作業をすることを求められています。何一つ学ぶことはありません。いま私がやっているような仕事の大半は、AIなしのロボットで十分対応できるレベルのものです。教養のかけらもありません。そうやって、私が積み上げてきたもの、積み上げつつあるものが、ビジネス界の不当な圧力によって突き崩され、やる気を喪失させられているのです。私は、こんなに広くて深い世界があるんだよ、ということを伝えたいのですが、いまは世の中はこんなに狭くて浅いんだよということを伝える、ディズニーランドの"It's a Small World"みたいな状態になっているのです。大学で行うべき教育の知的レベルがあまりに低くて、まともな教員はすでに辟易しているのです。

それに対する警鐘がまともな大学人から出たという解釈には間違いはないと思います。

私は一時期、日本語に訳してもらわず、教科書の文章を読んで解説してもらうという実験をしていたことがあります。大概の学生は、日本語に文字通り訳すだけです。それも文字通り訳せないし、解釈もまったく頓珍漢すぎて、話にならないのです。英語を英語で理解しようとしても、結局のところ何も理解できていないんだと悟ったわけです。当たり前のことですが、ビジネス界で日本の英語教育に批判的な人たちの多くはそんな単純なことさえ理解できていません。頭が良すぎて、バカになっているんだと思います。そんな奴らの圧力に屈して大学教育が崩壊しつつあります。すでに崩壊の終盤にさしかかっています。

京都大学に限らず、他の大学でも英文和訳の問題は出たと聞いていますが、これは真っ当な大学からの断末魔の叫びに聞こえます。

私は、ビジネス界の圧力に屈した現在の大学教育には絶望しか感じません。確かにスキルは必要です。しかし、だからといって、教養を無視してよいというわけではないことを忘れてしまい、TOEICのスコアを上げることだけに汲々としているアホどもに対しては軽蔑の感情しか湧きません。






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