SSブログ

忠臣蔵の真実〜赤穂事件はいかにして国民的ドラマ化したか〜 [資格・学び]



浅野内匠頭は、学もなく、女好きで、性格も短気、将来は有望とは思えないと見なされていた。

『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」は「咎(とが)なくしす」という暗号だった。忠臣蔵は忠臣たちの集まる蔵であるが、蔵には蔵之介が隠されている。

当時、実際の赤穂事件はそのまま実名を使って史実に忠実な芝居にはできなかったので、『太平記』の中の横恋慕のエピソードをもじって創作されたもの。見ている人は赤穂事件と重ねて見ていた。

赤穂浪士が渡ったのは両国橋ではなく、下流の永代橋のほう。両国橋は江戸城に上がる武士たちの通勤ラッシュだからありえない。

ぜんぶ知らなかったなあ。






まったく関係のない話ですが、私は食へのこだわりがありません。まずいものの味はわかりますが、ことさら美味いものの味はわかりません。気持ちが悪くなったり、おなかを壊すようなことがなければ、だいたいなんでも食べます。毎日同じものを食べても気にしません。特に朝食と昼食はほぼ同じメニューです。夕飯だけは妻が毎日違うものを作ってくれます。

私の同僚にやたらと食べ物にこだわりのある人がいて、あれを食べたらまずかったとか、あまりにうるさいのです。たいていは美味かった話よりもまずかった話のほうが多くなります。そういうタイプの人は基本的にネガティブ思考なので、他人に対しても悪いところが目に付くらしく、評価が不当に厳しいのです。学生に対しても、自分が舐められたくないという理由から、規則は規則ですからと厳しく接しているとのこと。

私はルールを守るのは基本的に嫌いなので、柔軟に対応しています。学生に舐められるとか舐められないとか一切気にしていません。そもそも舐められたところで、私が不利益を被ることはないからです。学生の方が単位を落とすだけであり、私の評価が下がるわけではありません。彼らにも憲法で「学問の自由」が認められているのですから、学問したければ学問をすればいいし、したくなければしなくてもいいのです。学問したくない人に、無理やり教える権利は私にはありません。彼らの自由を奪って、支配する権利もありません。

そのような態度で接していれば、他人のネガティブな要素は目に入らなくなります。「他人は他人だし、私は私」という意識が徹底され、他人の言動にいちいち振り回されることもなく、仮に怒りの感情が芽生えたとしても、一瞬で消えてしまいます。

私にはやらなければいけないことがたくさんあるので、そんなクソみたいなことにかまっていられないのです。私は自分の養分になるような情報や知識を与えてくれる人だけと接したいと思います。彼らに生きる気力を吸い取られるのはまっぴらごめんです。そんなもったいない人生は送りたくありません。

それでなくても、人生はつまらないものです。日々同じことの繰り返しです。しかし、そんなつまらない人生をいかに楽しむか、これを考えるのが人生最大の楽しみだと気づいてからの私は大きく変わりました。他人に愚痴をこぼす暇があったら、新たなスキルの習得や、自分の専門分野以外の資格の取得を目指すようになりました。そうするうちに自分の視野が広がって、狭いモノの見方しかできない人たちに囲まれていることに気づきました。そんな彼らとは距離を取るようになると、よりいっそう人生が楽しくなりました。

件の食通の同僚は、「人生には酒や食べ物以外に楽しみなんかある?」なんて言っていました。そりゃあ、あるでしょう。私は酒も飲まないし、食へのこだわりもありませんが、毎日楽しく生きております。週6日の労働も苦ではなくなりました。





自動車の謎! 「アクセル」「ブレーキ」はなぜ隣り合わせなのか | Merkmal(メルクマール)


ほんと、それが問題の根源だと思う。




共通テーマ:資格・学び