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初めてコメント消させてもらいました。これだけは伝えたい。 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



この動画のコメント欄は塞がれています。平気で人を傷つける人たちが吐き出す不愉快なコメントを見ない権利を優先するのは良いことだと思います。


我々の社会には、どういうふうに自分の価値判断基準を養ってきたのかわかりませんが、他人の考え方を一方的に否定したり、揶揄したり、嘲笑するような人、そして自分のほうが正義の側だと思っている人がたくさんいます。俗に「インフルエンサー」などと呼ばれて有難がられているような連中は、そのタイプが多いです。一般大衆は、「インフルエンサー」たちが断定口調で、相手を馬鹿にして、論破したと勝ち誇る姿を見て、面白いとか、自分の代弁をしてくれているように思えて心がスッキリする、と感じるのかもしれませんが、私にとっては、彼らの言動はただのプロレスというか、お笑い芸人の瞬間芸のようなものに過ぎません。『朝まで生テレビ』放送開始以前の評論家には、そのレベルの瞬間芸で他人の人格否定をしたり、心を傷つけたりする人はいませんでしたが、いまは日常生活でも同じことをするのが当たり前だと感じている人もいるようです。そういう輩はメンタルクリニックの受診をおすすめします。

コロナが流行していた時期に、ヤフコメを覗くと、下品で下劣なコメントがあまりに多かったのを記憶しています。私は、それらのコメントに怒りや悲しさを覚え、Yahooニュースを見るのをやめました。当時は、テレビ局も同レベルでしたが、マスクをしていない人を悪の権化のように扱って、周りの人々に従わないやつは殺人鬼だとでも言わんばかりでした。メディアが牙を剥いた瞬間を見たような気がしました。

学校教育でも政治の世界でも、多様な価値観というものを認めようという声がありますが、実際は、言っていることとやっていることは完全に食い違っています。自分の価値観を他人に押し付けようとする人ばかりです。その価値観に従わないと、怒りの感情で、他人をコントロールしようとするのです。そういう姿勢こそが悪の側の人間の所業であるということを認識できない状況になっているのは悲しいことです。

テレビのニュースでアナウンサーが感情を変化させて、ニュース原稿を読むのが昔から違和感があります。これは嬉しいニュースです。これは悲しいニュースですと、感情で、自分の価値観を押し付けてくるのです。その価値観も、紋切り型というものばかりです。「これは日本にとって嬉しいニュースです」などというコメントを入れるアナウンサーもいます。なぜアナウンサーが、そんなふうに日本にとって嬉しいニュースだなんて決めつけるのでしょうか。「そんなのは、あなたの主観でしょう」とツッコミを入れたくなります。ある人にとっての悲しいお知らせが、誰か他の人にとって嬉しいニュースになることもあります。株価が大暴落したときには、逆張りだった人は大儲けできて嬉しいニュースになるわけです。自分には見えていないものは存在していないかのように伝える人があまりに多く、彼らの短見に接するたびに、私だけは全体を見ることができていない人たちに影響されずに、多面的に、多層的に、多角的に見るようにしようと思ってしまいます。



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