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杞憂と危惧 [コンピュータ・ネット・テレビ]

先週末のNYダウの急落に関して、テレビやネットでは、火消しばかりだが、果たして明日からの世界の株式市場はどうなるのだろうか。ダウの急落は、下落率で見たら大したことではないので、まったく心配がない、という意見が多いようだ。ダウは高値から1000ドルしか下がっていないが、日本株のほうはすでに2000円も下がっている。割合はアメリカのおよそ2倍だ。月収24万円の人が今月は2万円減って22万円になったようなものなのだけれど、心配しなくてもいいのだろうか。

(NY株の急落でも、アマゾンは上がったらしいですが、現在のPERは313倍。今の株価に見合う利益を得るためには313年もかかるわけです。大丈夫なのでしょうか。とはいうものの、アマゾン株を持っている人は、大金持ちになっているわけですから、よくわかりませんね。)

テレビを見ていたら、仮想通貨(暗号通貨)について解説するという番組をやっていた。イントロだけ見て、あきらかに学ぶところがなさそうだったので、チャンネルを替えてはみたものの、そちらもくだらなかったので、また戻ってきたら、コメントを求められた精神科医の名越康文さんが、「これまで我々はお金に利子がつくということを前提に考えてきたけれど、もともとお金は物々交換を楽にするために作られたものなのだから、交換のための媒介として使うという基本に立ち返る必要があるのではないか。そうすれば、どんどん交換されるようになると思いますよ。」などと、わけのわからないことをその場しのぎで語っていた。仮想通貨の存在意義の話から大きくズレた、あまりに頓珍漢なコメントで、呆れてしまった。そのうえ、名越さんは、自らも恩恵に預かっている資本主義経済を完全否定していることに気づいていないのだ。さらに江戸時代のように、貨幣価値が300年間ほとんど変わらないという桃源郷のような状況に戻れると思いこんでいるのが実に不思議である。日本の購買力平価がここまで下がって貧乏になってきているというのに、貨幣の価値は変わらなくていい、利子はつかなくていい、給料も上がらなくていいなどと言うようであれば、我々は外国人に不当に安い賃金で働かされるような明治時代に戻ってもいいという話になる。テレビを見ている人たちには、こういう意見は受けが良いのだろうが、冷静に考えたら、付加価値を否定すること自体、人類学的な知見からもかけ離れている。

それから、もっと問題なのは、安倍政権の傍若無人な政治の私物化である。その問題にはいっさい触れず、相撲協会の理事選挙の話を詳しく解説するような番組ばかりを流している。これまでうちの妻は貴乃花親方は憎々しいとか、日馬富士に同情するとか言っていたけれど、まったく関心を失っているというか、呆れ果てて、いまでは韓国ドラマばかり見るようになってしまった。

テレビは国民を教育する機能も持っているはずだから、少しは啓蒙的な活動もしてほしいものだ。しかしながら、テレビそのものが「蒙」になっている昨今、国民が「蒙」化することは避けられなくなっていることを危惧する。