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教育の見直し [資格・学び]

昨年の今頃、わたしは転職を考えていました。今の仕事を完全に辞めてしまう勇気もなかったので、3月から工具屋でバイトを始めました。次年度からの年収減を少しでも補えればいいと思いました。しかし、すぐさま本業の依頼があって、2週間ほどでバイトは辞めることにしました。

中年になってからのバイトは、かなりストレスフルなもので、わたしには商売の適性はなかったようです。年齢のせいか、物覚えも悪くなり、ますますマルチタスクが苦手になってきていることも原因でしょう。しかし、わたしが知らない世の中の勉強をさせてもらい、有意義な時間を過ごせました。お金や商品や労働時間の管理、商品のディスプレイの仕方、掃除、客対応(万引きの見張り、買ってもらう方法)、社員との人間関係(力関係)など、いろんな側面で学びや気付きがありました。これまでわたしは教育の世界しか知りませんでしたから、商売の世界の考えが非常に新鮮でした。

しかしながら、教育者の観点から、ビジネスの世界での教育には大きな問題があることを強く感じました。わたしが働かせてもらったお店は、なぜか社員教育はありませんでした。現場で複数のことをいっぺんに教えらられ、いきなり実践から入るのです。とにかくやってみてくださいと言われるのです。他の店員の行動を観察する時間は非常に短く、そのやり方の説明も、要領を得ないので、聞いていてもわけがわかりません。

どうしてそういうことをするのかとたずねても、「うちの店ではそういうことになっています」で終わりなのです。とにかく、そのやり方を真似るしかないのです。仕方がないので、親切そうなパートさんに頼って、教えてもらいながら作業をするのです。これは他のパートさんの仕事を邪魔しているだけのようで、非常に気が引けます。誰かの役に立つというより、他人の邪魔をしているだけですから。

教育では、なるべく、「それはそういうものなのです」とは言ってはいけないことになっているとわたしは思っています。わたしの授業では、なぜそういうことになるのか、そうせざるをえないのかを理詰めで考えていくことをします。それをしないと、教育ではなく、「お手」や「待て」のような調教になってしまうからです。覚えろって言ったら、覚えればいいんだ、自分の言うことを聞けば、報酬を与えるという方法は、教育としては前近代的です。

これまでのテストのスタイルも、わたしが考えるような教育とはかけ離れたようなものばかりでした。単語を1つ正しく覚えたら、1点分与えるというようなものです。それは機械的に覚えておけば、点数が取れる、ただの丸暗記なのですが、それを教育と見なしてきた時代はとっくの昔に終わっています。いまは、そんなことはできて当然であってというところから始まり、その上で、話の内容を正確に理解し、それに対する自分の考えを理論的かつ具体的にまとめ(データを使うこともあります)、他人にわかりやすく伝える(発表できる)ようにすることが教育であると考えられるようになってきました(とわたしは思っています)。正解は一つという前提が崩れた今、他者の多様な物の見方に触れ、柔軟な姿勢で最適解を探し続けられる能力を身につけることは、社会にとって有益なことであり、それこそ現代的な意味での教育のはずです。(そういう考えを受けて、私立中学の試験問題も変化してきているようです。)

21世紀は、単純作業ができれば、お金が稼げて、社会に貢献できるという時代ではありません。そういう作業は、機械やロボットに取って代わられつつあります。しかし、そんな古い考えがいまだに商売の世界には残っているのですから、驚きました。正直に申しますと、その会社には将来性はないと感じました。教育を重視しない会社や社会には、将来性はないと思います。もちろん、店員という仕事は、ほんとうの意味での末端の仕事なので、創意工夫は必要ないのかもしれません。大学院の博士後期課程まで行っているわたしのような人間がする仕事ではないのは明らかですが、それにしても、大きな問題があると感じました。

わたしのバイト先には、体系的な従業員教育がないばかりではなく、当然のごとく、従業員が独学するためのマニュアルさえも用意されていませんでした。即戦力になる人を使うだけで、教育にはお金をかけないというようなビジネス手法が、このデフレの20年間に日本中に広がってしまいましたが、そういう企業は、これからは落ちぶれていくのでしょう。現場で教える余裕もないので、社員教育を大学にアウトソーシングする時代が続いてきましたが、そんなものすでに終わっています。というより、始まってもいませんし、始める必要もありません。

少子高齢化による人口減社会、労働者不足に対応するためにも、末端であろうがなかろうが、「教育」のあり方をもう一度見直す必要があると思います。