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【司法書士試験】の本当の難易度 [司法書士]



ほとんどの受験者は全科目のテキストを1周さえ終えずに、受験するそうです。そうでしょうね。あまりに学習しなければいけない量が多いのですから仕方がありません。

私は、去年の12月に学習をスタートし、4ヶ月ほどかけてでようやくテキストの1周を終えて、いまは2周目の途中です。不動産登記法と商業登記法の記述式の問題も1周目は終えました。

今は民法IIIに入り、それが終わったら憲法、刑法、民事訴訟法・民事保全法・民事執行法、供託法・司法書士法を終えれば、2周目が終了します。

今年の夏頃までにはなんとかたどり着けるでしょう。まだガチの過去問は手を付けていませんから、今年の7月の受験には間に合いません。しかしながら、テキストを5回も回したら、だいぶ自信がつくような気がしてきました。


受験生の多くは、ナカさんによれば、本気で戦える準備が整っておらず、しっかり勉強してきた受験生はせいぜい5人に1人程度とのこと。資格試験としてはあまりにも範囲が広く覚えることも圧倒的に多いので、その感覚は正しい気がします。

私は年齢のこともあり、切羽詰まっているので、宅建のときのように遊びで受験するわけにはいきません。しっかり準備をして試験に臨む予定です。だからこそ、今回の受験は見送ったわけです。

しかし、うちの息子は見送らず、お試し受験をするそうです。そういう受験生が大半だと思います。したがって、受験生の3分の2以上は箸にも棒にもかからないレベルであるはずです。つまり、合格率は、実際の状況を反映していないということです。

私はまだ受験していないので、正確なことはわかりませんが、きちんと勉強してきた人たちだけで計算したら、合格率はおそらく20%くらいあると思います。だとすれば、勉強を続けている限り、遅くとも4、5年以内には合格できるということです。私は2回の受験まででなんとか合格を勝ち取ることを希望しております。


『合格ゾーン』シリーズの著者である根本先生が『民法III』の前書きに書いておられますが、受験勉強の手順として、最初はイメージを持つこと、次は理解すること、3番目に解けるようにすること、最後に覚えること、を意識するべしとのことです。

私は今、2周目の途中なので、理解のフェイズにあります。さすがに全体に目を通してから2周目に入ると、頭にスルスルと入ってきて、理解できているという実感を得られ、楽しくなってきます。

これが3周目となると、過去問をきちんと解けて、どうしてなのかを他人に解説できるようになるところまで進めると思います。

その先にあるのは、細部を記憶することになるのですが、学習のスタートから5ヶ月経った今の感覚では、そこに到達するには、あと1年はかかると感じています。私は兼業受験生であり、ふだん仕事をしていて、法律の勉強だけしているわけにはいかないので、仕方がありません。

学習習慣の継続に関しては、職業柄、軽々とクリアしています。勉強が辛いと思ったことはありません。むしろ、勉強しないほうが楽しくないというくらいの変態の感覚なので。




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私も40代の前半はきつかったですね。私もそのころ夫婦仲が悪く、1年間に妻と話をしたのは、合計1分ほどでした。本気で離婚を考えていた時期が5年くらい続き、圧倒的な虚無感に苦しめられていました。何のために生きているかわからなっていました。

しかし、40代の後半になってからは、虚無感から解放され、生活が一変しました。子供も大きくなって手が離れたというのもあります。しかし、もっとも大きかったのは、自分の人生を見直して、他人に振り回されることを拒否したいという気持ちが強くなったおかげです。やりたいことをして、やりたくないことは、やりたくないとはっきり言うようにしたのです。

そして、新しいことにもどんどん挑戦していく気持ちが芽生え、複数の楽器を弾けるようになりたいという希望を叶えるために練習をしたり、資格試験の勉強をしたりするようになりました。結果、やればできるという自信がつうて、自己肯定感が高まり、今までの浅い悩みが一気に吹き飛びました。妻との険悪な関係なんか、私の人生にはどうでもいいと考えられるようになったのです。自分の狭い視野から、外に飛び出して、大局的に物事を捉えることができるようになったわけです。


私の内的な変化の結果、私から離れていく人も出ましたが、そのかわり、私に興味を持ってくれる人も出てきました。いまはストレスのない楽しい日々を送っています。



今朝も4時起きです。昨晩22時に寝てしまったので、4時おきでも6時間睡眠になっています。民法の勉強もしつつ、YouTube動画を見たりしながら、朝8時までに溜まっていた仕事も片付けました。世間ではGW突入ということですが、私等の生活には関係ありません。29日の月曜日も30日の火曜日も授業があります。でも5月1日から5月5日までは連休になるので、その間に、土曜日の講座の予習もする予定です。私は年々、何事も切羽詰まらないとやらないタイプになりつつあります。

それを同僚の先生は、「(ベテランの)余裕」と表現してくれるのですが、その先生のほうが私よりも人生の先輩なんですけど、いつもあたふたして、私を悩みの相談相手にしています。夫に先立たれたばかりだし、これまで夫に付き従うだけの人生を送ってきただけなので、いろんなあ側面で自分の人生に自信が持てないようです。だから、いつも他人の目を気にして、自分のやり方はこれでいいのかどうか、と知りたがるのです。彼女に対する私からのアドバイスは、いつも、他人なんかどうでもいいので、自分の人生を生きてください。自分のやりたいようにやればいいんです。うちはうち、よそはよそ。文句があるなら、言ってみろ!」という感じでいいじゃないですか。他人に私を支配する権利はありませんよ。客にだって、学生にだって、私と対等な関係であるはずです。職場の上司も対等です。なぜ私が彼らに卑屈にならなければいけないのか、私にはまったく理解できません。知らんがな。

こんなふうに図々しくなってきたというか、吹っ切れたと言うか、諦められるようになったのは、残りの人生が短くなってきたせいでしょうね。誰でもそうですが、自分がやりたいようにやればいいんです。他人にいちいち「忖度」する必要はありません。プーチンと金正恩を崇拝する共産主義者かつ独裁者の安倍晋三も殺されて、日本は民主主義の危機から脱することができたのですから、もはや我々は誰彼気兼ねなく、民主主義社会の中で自由に生きられるようになったのですよ。解放感を味わわなければ損です。まっとうな人間なら誰もが予想したアベノミクスの大失敗の尻拭いはしていかなければいけませんけどね。解放感と同時に塗炭の苦しみを味わわなければいけないというのが辛いところです。それもみんな無能な日本の庶民がいけないんですけどね。もっと勉強せいや、どアホめが!



「高学歴とは大学院修了者をいう。偏差値の高い大学であるかは無関係」院卒の男性がそう思う理由とは…… | キャリコネニュース

この意見に私はある程度は同意できます。

私は博士後期課程を終了しているのですが、大学院に行った人は変な人がいて、案外おもしろい人がいます。人間性は別として、ものの見方が深い人がそこそこいます。とは言うものの、私の職場の人たちはみなさん大学院を出ておられますが、専攻分野によっては、あまりに底が浅い人がいます。教育系と言語学系はお話になりません。物事の表面しか見ていないのです。経済学もバカが多いです。これは出身大学の問題ではありません。どこの大学や大学院を出ていようが、話がつまらない人ばかりです。サービス精神がないと言うか、なんというか。彼らと話をしていても、新しい情報やオルタナティヴなものの見方を提示できない人が圧倒的多数です。目から鱗が落ちる経験はめったにありませんない。一方、理系の人は、そこそこおもしろいです。その原因はどこにあるのか、教えてもらいたいくらいです。



「を」←何と読む?「o」なのか「wo」なのか… 国が定める発音に衝撃の事実!? | 愛媛のニュース - Nスタえひめ|あいテレビは6チャンネル


私は「を」を「o」と発音する地域出身の人間です。大学のときに、徳川家康と同じ駿府出身の友人に俺は「を」を「wo」と発音すると言われて、へえ、そんなものかと感心したことがあります。もう35年くらい前のことですが、鮮明に私の記憶に残っています。以来、私も他人の「を」の発音を意識するようになってしまいました。この記事にもあるように、東京周辺では「を」を「wo」と発音している人はめったにいませんね。YouTubeには、日本のいろんな地方の人が動画を上げているので、彼らの動画を見ていると、たまに「wo」の発音を聞けることもあり、ほのぼのします。

私自信は、文字の説明をする時にはwoとわざわざ発音するようにしていますが、無意識に話しているときには常に「o」になっています。これはなかなか矯正できるものではありません。








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