SSブログ

ダム行政の限界と阿呆たちの自己犠牲 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

「もう放流はしないでくれ」水没の街にみたダム行政の”限界”【西日本豪雨】(FNN PRIME) - Yahoo!ニュース

世界的には、ダムを取り壊す時代に入っていることを日本人は知らない。

長野県の知事を務めた作家の田中康夫は、在任中から(もう20年くらい前になるのか?)、ダム行政の欠陥を口を酸っぱくして語っていた。現在、彼の予言どおりになっていることよりも、その予言に耳を傾けない阿呆どもがいまだにいることが恐ろしい。

西日本豪雨の被害を拡大したのは、ダムの放流であったことは明らかである。ダムは時間とともに土や砂が溜まっていき、その結果、貯水量が減っていく設計になっている。溜まった土砂を浚渫(しゅんせつ)するにも、莫大なお金がかかる。ダムというものは、造成するのにも、維持するのにも、破壊するのにも莫大なコストが掛かってしまう。

1930年代の大不況を克服するためにローズヴェルト大統領が行った「ニューディール政策」を、自民党支配のもとに、いまだに「土建国家」日本は行い続けているが、そのような政策は、労働生産人口が増えて、税収が右肩上がりになる時代ならまだしも、人口減少と高齢化の時代には合わない。しかも、ダムは治水には貢献しないことも、今回の被害でもまた明らかになった。「ダムはムダ」と、『なんとなく、クリスタル』の著者は語っていたのが私の印象に強く残っている。

もちろんすべてのダムがムダとは思わないが、実際のところ、ダム建設は、政治家と癒着したゼネコンが儲けるためのものでしかない。いまだに日本はみすぼらしい「土建国家」であり続けているのは、自民党を支持する正真正銘の馬鹿が多いからだ。

西日本の豪雨被害に関して、YouTubeで武田邦彦が語っていたが、彼の言う通り、確かに、この手の人為的な災害の責任者というのは、技術者である。だからこそ、何か事故があったときは技術者を矢面に立たせなければいけない。原発事故の件でも、技術者が前に出ざるを得なければ、事故を起こしかねないものを設計するわけがないので、事故は起きなかったかもしれない。

現在は、技術のことなどまったく知らない経営者が細長い机の向こう側でペコリと頭を下げるという形で、記者たちの前で謝罪して責任の所在を明確にしないで済ましている。それを横目に、政治家たちは、「ぼくちゃんはわからないもん」という態度を取るのは日本ではいつも見られること。そういう状態を繰り替えいしている限り、永遠に日本は災害を防ぐことが出来ないのである。まったくみっともない国である。いつでも自然災害がおきると、無責任な責任者たちは、「これは想定外であった」と言うのだが、技術者の視点からすれば、まったくもって職務怠慢である。飛行機は墜落するものだということを前提に飛行機を設計しているようなものである。それでは災害は防げない。

日本の政治家や企業家や官僚の無責任体質と、一般庶民の民主主義意識の決定的な欠如が、日本を死の淵に追いやっていることは明らかだ。そういう馬鹿は生きているだけで迷惑だ。同僚の尻にエアコンプレッサーで空気を送り込んで死亡させた馬鹿も小学校の勉強もロクにできなかったのだろう。そういう馬鹿は日本のためにならないから、さっさと死んでほしい。

日本の山は杉と檜だらけである。自然の森はほとんどなく、人工林ばかりだ。つまり、日本の国土のほとんどは山の畑なのである。杉や檜は根を張らないために、保水能力が低く、森のダムとしては機能しない。これは30年以上前から、カヌーイストでエッセイストの野田知佑が言ってきたことである。たとえば、深く根を張るブナの森であれば、保水能力が高いので、ふつうの大雨なら、土砂を流すようなことはない。しかし、杉林や檜林では、簡単に山が崩れるのだ。昨年、福岡県の朝倉で起きた土砂災害は、いまだに明確に指摘されていないが、特産の檜のせいだろう。もちろん、その杉や檜のせいで、日本人の多くは花粉症に苦しまされているのだ。阿呆かッ。

ここにも日本の行政の歪みが現れている。見て見ぬふりをして、抜本的な改革をしてこなかった自民党を支持する阿呆たちが自らを犠牲にするのである。それでも自民党を支持するなら、勝手に滅びたらいい。

地震や洪水や地すべりなどの自然災害があると、マスコミの報道は時が経つにつれ、美談を流し始める。いつのまにか、災害を防ぐ話ではなく、いい話になっていく。そして、行政には限界があるから、個人で見を守らなければならないと、責任の所在が曖昧にされている。毎度のことだから、驚きはない。しかし、永井荷風のように物事を冷徹に見通すことができないままであれば、日本人の成熟は永遠にないし、神風特攻隊を偶像崇拝する未熟な社会から抜け出すことが出来ない。そうして、百田尚樹のようなクソったれな詐欺師に騙され続けるのである。日本人は自然災害に何度見舞われてもそのたびに立ち上がる力がある優秀な民族だと。何度も自然災害に見舞われているのにもかかわらず、そこから何も学ばないことの愚かさにまともな人間であれば呆れているはずだ。






日本では、いつも、こうなっていく。