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他人は不幸の源 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

夕方、気分がいいなんて書きましたが、いつものことですが、そういう状態は長続きはしません。早いときは数分、長くても1時間で線香のように燃え尽きます。若い頃より、その持続時間が短くなってきている気がします。これも老化現象でしょうか。別に機嫌が悪いわけではないですが、気分はよくありません。

コロナ禍の中で、私はたくさんの動画を見てきました。音楽以外では、DIY、ソロキャンプ、ミニマリスト、HSP、精神分析が多いのですが、だんだんわかってきたのは、私がそれらの動画を興味を持つに至ったのは、無意識のうちに他者と比べてしまう悪癖を克服しようとしているからだと気づきました。

ミニマリストたちの根本的な思想は、「そんなの、なくてもいいんじゃね?」です。他の人が持っているからと言って、自分も持っていなければいけないという理由にはならないでしょ。自分の生活にぜったいに必要なら、がんばって手に入れるかもしれないけれど、他人が持っているから自分もほしいとか、他人に自慢するためだけに所有したいと思うのなら、それは他人の価値観で生きることを強いられているだけだから、いらねーよ、バカバカしい。本棚の本だって、他人に私(オレ)ってすごいでしょ、と自慢しようとしているだけなら、さっさと処分したほうがいいよ。本が家賃を払ってくれているわけじゃないだろ。それに、他人を家に呼んで、わざわざ見せることなんてあるの? ないでしょ。服も時計もクルマも家具も家も子供も他人に自慢するためだとしたら、いらないんじゃね? 他人と比べて何が楽しいのよ。そりゃあ、他人と比べて、自分のほうが良いものを持っているとマウンティングすることだけが生きがいって人もいるよね。オレのペニスのほうがでかいとか、私のおっぱいのほうが大きくて形がいいとか、比べてどうすんのよ。わざわざ他人に見せるもんじゃないだろうが。

マウンティングするヤツって、他人軸で生きているだけでしょ。つまらねえ奴らだな。無理して生きていると思うよ。奴らが無駄使いすればするほど、他人の懐を豊かにするだけで、自分の心はますます空っぽになっていくんじゃないの。哲学者のジャン・ボードリヤールが言ったように、消費者は他人の欲望を欲望しているだけだからね。アホらしぃや。

それよりか、自分が居心地の良い環境を自分の手でコツコツと作っていくほうが楽しいでしょ。他人に作ってもらった高級品を買い集めるより、DIY生活のほうが何千倍も楽しいよ。人生を楽しんでいるって感じ。運転手付きのセンチュリーで近所をぐるぐる回るより、自分で修理したクルマを自分で運転して、エンジンの悲鳴を聞きながら山坂道を登っていくほうがスリリングだよね。それと同じだよ。生きてるって感じがするよ。以下に努力をせずに大きなお金を稼ぐかを「生産性」と呼ぶようなケチな人間どもにはわからないだろうね、ケッ。

人生を究極的に突き詰めていくと、自分を不幸にする比較対象としての他人は不要品の極地。リサイクルショップにタダでもいいから引き取ってもらいたいくらいだよ。他人は不幸の源だからね。

こんな想念というか妄想が、頭の中で無意識にぐるぐる渦巻いていることに気づき、いまビミョ~な気持ちになっています。



お母さんがおばあちゃんになっても、この家はぜったいに手放せない家になるのでしょうし、娘さんと二人で「ここはああだったよね、こうだったよね」と思い出話に耽ることができるんでしょうね。羨ましいです。グラタンもおいしそうです。こんど作ってみようかな。