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【最強記憶術】メモリーツリーを0から作ってみた|資格スクエア「ハンパないチャンネル」vol.739 [資格・学び]



知識を体系化し、物事を俯瞰できるようになると覚えやすくなる。その記憶法は脳に優しい。メモリーツリーというくらいなので、まず幹を定めて、そこから枝が伸びていき、その先端には葉があるという図を書く。大きなカテゴリーから、中カテゴリー、小カテゴリーへと細かく割っていくだけではなく、それがどこから派生したものなのか、どこと繋がっているのかが一覧できるようにノートを作成する。その作業は脳がシナプスのネットワークで記憶していく構造に似ている。

確かに言われてみればそういうことですね。英語なら、SVOなどの5文型というものがありますが、あれが幹です。文型は意味がないと主張する向きもありますが、荒唐無稽、笑止千万、愚の骨頂です。英語はオーダー(順番、秩序)が大切です。並べ方で意味が変わるのですから、並べ方に意味がないという人は、根幹がわかっていません。まだ何も始まっていない状態です。頭の中は、無秩序、混沌のままです。差別的な言い方をしますが、未開人と同じです(未開人の方が秩序があると思いますよ)。

それを体系的に整理していくのが文法書です。一般的な文法書では、5文型の話から始まることはありませんが、実はそれが根幹にあることがあとから明かされます。ただ、残念ながら、なぜSVOが英語の基本であって、他動詞がメインで自動詞がサブなのかも説明されません。それは文法書における最大の欠陥だと思います。それはともあれ、SVOという幹の中のメインである主語となる名詞が大枝として来て、そこに小枝としての冠詞が乗っていきます。代名詞もついでにそこに同乗させてもらいます。次に、述語となる動詞という大枝が来て、その上に時制やアスペクト(進行形や完了形など)、能動態、受動態などのモードと細かく伸びていくのです。さらに形容詞だの、副詞だの、前置詞だのが来て、関係代名詞、関係副詞、動名詞、不定詞、現在分詞、過去分詞、助動詞などが来ます。文章全体の構成、一文一文の並べ方、複数の形容詞の並べ方などもその後に続き、ハイフン、ダッシュ、コロン、セミコロンなどで閉じるわけです。

英語ができる人なら、そういう系統図は何も見なくて描けますが、大学生レベルの英語の初学者は、文法の試験では満点を取れるかもしれませんが、まだ系統図を描けないし、説明できないことが多いです。これを頭の中で完成させると、確かにいつでもすぐに誰かに説明できるし、それを使って、文章を作成することが可能になります。あとは語彙の問題だけです。

状況に合った単語やフレーズを選ぶというのも重要なスキルです。I wanna be a professional soccer player after graduation.などと書いて粋がっているいるような英語好きな大学生が現れると、英語教師としての私は一瞬で萎えます。大学生ではなく、赤ん坊を見ているような感覚に陥ります。いちいち説教はしませんが、就職の面接で、「俺はな〜」みたいに言っているように聞こえるのです。そういうTPOも文法の学習にはあるのですが、英会話重視の洗脳教育で大きく勘違いしてしまった人は救いようがありません。バカは死んでも治らないと言いますが、あれは本当です。

話が脱線しましたが、このメモリーツリーを描けるようになった瞬間に、その知識は身についているのかもしれません。メモリーツリーを描けば覚えるのではなく、その逆のような気がします。JIJIさんは目次を見ながら機械的に描いたとおっしゃっていますが、ああいう構造を把握できるということは、畢竟、内容を正確に理解しているということです。


医学博士に聞く、記憶力・学習力アップに影響する脳機能「シナプス可塑性」とは?|LINK@TOYO|東洋大学


この記事とは関係ないのですが、ホリエモン氏とひろゆき氏が、自分の子供を東京大学の理IIIに入れたことで自分の教育法を本にして、それを伝授する講演をして稼いでいる女性を批判する記事を、寝起きに読みました。確かに個人が進める教育法は再現性はありません。たまたま才能がある子供と教育法が合致しただけで、偶然の産物です。その教育法で教育を受けた子どもは100%理IIIに合格できるということは現実的にありえません。真似をしても、土台無理なのです。そもそんなことがわからない教育ママ・教育パパがその話を真に受けて、最終的には自分の子供を勉強嫌いにしてしまうのです。そちらの確率が99.9%でしょう。親が子供をコントロールできると思ったら大間違いです。教師も生徒を完全制御することはできません。結局のとこと本人の適性や努力の結果なのです。親のおかげとか教師のおかげというのは幻想です。

この教育法ならハーバード大学に入れる子供を育てられるというような再現性のない個人の感想にたやすく感化されるような人は、目的と手段を混同するほど頭が悪いのですから、そんな親から頭のいい子どもが生まれるはずがないでしょう。そもそも理IIIに受かることは、何かをするための手段であって、目的やら目標ではありません。理IIIに受かっただけで夢が叶ったというのであれば、結局、何も成し遂げていないのと同じです。合格した時点で、すでに終わった人になります。それでいいのでしょうか。








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