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【もう怒りたくない】自分の意思では抑えられない怒りをどう沈めるか?アメトーーーク!「読書芸人」で話題"仏教に学ぶ"怒らないための智慧【怒らないこと/ゾフィー上田航平】 [雑感・日記・趣味・カルチャー]



いい話です。私はこの芸人さんとは気が合いそうです。


「怒らないようにする」「感情を消す」というのが近年の私のテーマになっているので、心に響きました。コロナ禍前までは、授業中、私はよくキレていました。勉強しにきているはずなのに、明後日の方を見ている学生がとどきどきいますが、以前はそういう学生がどうしても許せなかったのです。

でも、彼らには彼らの都合があり、彼らの考え方を変えるのは私(大学教員)の仕事ではないし、責任でもないことだし、私にそんなことをする権利も資格もないと気づいてしまったのです。また、私は他人の怒りによってコントロールされることを死ぬほど嫌ってきたのにも関わらず、自分自身が怒りで他人をコントロールしようとしていることに大きな矛盾があることに気づいてしまったのです。

他人を変えることはできませんし、そんなことをする必要もありません。世間は私の都合に合わせてくれることはないのです。自分ができることは限られています。自分にできないことは、わざわざ口を出すべきではないのです。私の仕事と他人の仕事に明確な境界線を引くことは、精神を病まないためには重要なことです。

私が怒らずに済むようにするなら、そのためのシステムを作ればいいだけのことです。私がいま抱えている学生たちのカンニング問題の対策は実はきわめてシンプルです。カンニングをする学生に対して怒ったり、矯正(教育)したりするのではなく、それができないような環境を整備すれば終わりです。

カンニングでなんとかしようと考えている学生が教室に来ないようにしたり、諦めて自主退学してくれるように、別の道を作ってあげればいいのです。そうすれば怒りの原因となるものが私の目の前から消えてくれて、私はハッピーになれるというわけです。

「怒らない」というのは、人間が社会生活を円滑に送るために必要なスキルです。私に決定的に足りなかったのはそのスキルです。

クルマを運転中も、マナーの悪い運転手に多数遭遇することがあります。電車の中では、路上よりもマナーの悪い人をはるかに多く見かけます。そういう人に遭遇するたびに、私はイライラすることがありますが、その怒りは自分自身の傲慢さにあることにようやく気がつきました。私は傲慢な人間だったのです。もっと謙虚にならなければいけません。

もし、私の中で怒りが湧く原因は、嫌な人間を自分と同じ人間とみなしてしまうからです。目の前をブンブン飛び回る黒い羽虫のようなものだと思えば、邪魔くさいなと思うだけで済むはずです。怒りの対象がクルマだったら、ドライバーの存在は想像せず、単純にマシーンとしてだけ見ればいい。そんなふうにして自分自身の感情を消すことがロードレイジ(road rage)を避けるために有効だとある動画で知りました。

電車の中でしたら、車内でおかしな人間に遭遇したら、すぐさまその場を離れるのがトラブルを回避するための最善の方法です。そういう人を自分の視界から追い出すには、その人自身を追い出すのではなく、自分の方から場所を移動して、彼らを視界から消せばいいだけのことです。


これはニュースに対する姿勢と同じです。1年以上前から私はニュースをほとんど見ないようにしています。見るなら、遠い異国のニュースのみです。自分とは関係のない、感情移入が難しい人たちのニュースです。世の中というものはそういうものだ、自分を含め人間は愚かしい生き物だと感情移入せずにとらることができれば、不愉快なニュースであっても、かえって心が休まるものです。



そうは言っても、どうしても怒りの感情が湧いてくることは避けられません。私もひとりの愚かな人間ですからね。そのときに怒りを鎮める方法を「考えてみる」という癖をつけるのがよいのかもしれません。

一つは、人間もクルマも原子の集合体だとみなすことでしょうか。化学的というか、唯物論的な思考方法かもしれませんが、これもよさそうです。











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