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「どっちもどっち論」は論外 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

武田砂鉄の気になるこの人:個人の尊重と自由 ゲスト 映画監督 ヤン・ヨンヒさん(その1) - 毎日新聞

他の先進国とは違い、日本では「どっちもどっち論」がはびこっているという。文化の違いだけでは済まされない重大な問題だと思う。

被害者も加害者もどっちも悪いとするのは、物事を一定の基準に照らし合わせて判断するということを拒否していることである。それは思考停止そのものである。物事の是非を判断する基準(クライテリア)がないということは、基準を形成することを重んじないという態度の結果であり、それは日本人の学問に対する姿勢にも反映されている。何のために学問をするかといえば、もっとも優先すべきことは、物事の良し悪しを判断するための基準を形成するためであるのであるが、そういう基本をわかっていない人たちは、教科書に書かれたことを暗記し、知識を増やすためだと勘違いしてしまっている。

クライテリア(criteria)を形成するという思想がないまま、日本はたまたま21世紀まで生き延びてくることができたが、世界がグローバル化するにつれて、そのようは曖昧な態度では生きていけなくなってきている。これからの日本人は、きちんとした理念を持ち、その理念に従わないやり方は断固として拒否するという方針で貫かないと、権力者の言いなりになってしまう。そういう社会に暮らすことを誰が望むのだろうか。しかし、現に、政治家や官僚の多くは、権力者の言いなりになっている。ご都合主義的で、無責任な態度が、いままさに国民の不信感を買っているのだ。

日本には「喧嘩両成敗」とか「三方一両損」(落語!)という考え方があるが、実際のところ、過失割合は、1:99の場合もあるし、49:51の場合もある。そういう細かい部分をすべてすっ飛ばして、どっちも悪いとする思考停止状態は、日本社会の近代化にとって癌になっていると私は思う。