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卒車 [クルマ]

ピーク時よりも30%以上減少! 「卒車」に悩まされ新車の売れない日本の販売現場の危機 – WEB CARTOP

クルマが売れなくなった理由は、物価上昇に比例しない給料のせいである。企業が利益を上げるために、(ゴーンを見習って!)国内の従業員をリストラし、非正規雇用者だらけにし、安く生産するために工場に海外に移転することで、市場を海外に広げ、また株価を上げるために配当金を積み増し、さらに自社株買いをする。そういうお金はすべて国内の従業員に賃金として分配すべきものだった。

経営者というものは、えてして視野が狭い人が多い人が多いので、自社の従業員が(自社の製品を買う)消費者であるということを理解していない。消費者が減れば、市場が小さくなるものだ。それが回り回って、自分の会社の利益を減らすことになる。経営者は、生産を通じて、消費者を育てる役割があるのだが、ビジネス書ばかり読んでいるくせに、そういう基本がわかっていないのである。海外に市場を拡大することで、国内の市場を軽視してきたわけ。国内経済の疲弊は、彼らのせいである。シェアリングエコノミーに参加している人たちは、貧乏だから、そうせざるをえない人たちの割合のほうが大きいはずだ。

国内市場の縮小は、当然だが、少子化も手伝っている。少子化にはいろんな原因があるけれども、子供が贅沢品になってしまったのが大きい。教育費があまりに高すぎるのである。子供を一人育てるのに3000万円もかかかると言われているくらいだが、そのお金で、一体高級車が何台買えるのだろうか。そんなお金があったら、郊外の一戸建ての家だって買えるだろう。子供に食べ物を与えるお金もなく、水だけを与えて死なせてしまった女性のニュースがあったが、それに近い生活を送っている家庭の子供は6人に1人だと言われている。実際そうなのだろう。かつてはアフリカの話のように思われていた餓死が、現実のものとなりつつあるのだ。為政者は、このままこの問題を放置し続けるのだろうか。

こうなってしまった原因は、企業の経営者、自民党の議員、自民党の奉仕者である官僚と、政治に無関心な一般庶民にある。彼らは徹頭徹尾、無責任なのである。

「若者の〜離れ」「草食化」という表現で、若者の無欲さに苦笑いを浮かべるマスコミの報道があるが、高給取りの連中にはわからないだろうが、日本の大衆は貧乏すぎて、ものが欲しくても手に入れられないのだ。

「すっぱい葡萄」というイソップ童話を思い出してほしい。狐がおいそうに実る葡萄を見つけたのだが、高いところになっているので、いくらジャンプしても手が届かない。そこで狐が、「あれはまずいから、自分はいらない」と思い込むのだ。まさに、人間の心理を言い当てた寓話である。若者だけではないが、私も含めて、あんなものはいらないと思うための口実をつねに探しているのだ。お金がいくらでもあるなら、もちろん、高級車にだって乗りたいし、海外で豪遊もしたい。しかし、賃金がこの20年以上もの間まったく上がらないのである。実際は税金と社会保障費などが上がっているので、実質賃金は大幅に下がっている。

若者には欲がないのではなく、彼らはすでにこの国の発展を諦めてしまっているのだ。為政者や経営者があまりに無能であることに諦めているのである。若者の静かな叛乱が彼らの首を絞めていることに、彼らはいまだに気づかないらしいが、すべては為政者や経営者らの「自己責任」なのだよ。

今後ますますクルマは売れなくなることは確実である。都会ではクルマがいらないほど公共交通が発達しているし、ネット通販もある。地方は、疲弊し、過疎化している。クルマが売れないのは当たり前である。そういう国にしたのは、為政者や経営者の責任である。

とはいえ、彼らはいっさい反省しない。ピンチをチャンスに変えるのだとかほざくに決まっている。絶望的である。

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