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いいのかな、そんなことを言って [雑感・日記・趣味・カルチャー]

大新聞は「できもしないこと」ばかり書く、世間知らずの風紀委員か(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

(署名がないからわからないが、この論者は会社を代表して書いていると取るべきだろう。)

『週刊現代』だか『現代ビジネス』もマスメディアのひとつで、言っていることとやっていることが違う大新聞社と同じことをしているはずだ。彼らも他社を批判できる立場ではないだろう。理想の社会を作るためには、偽善的な言論の運用をしなければいけない。その観点から、論者のような立場で新聞社を批判することは不当だと思う。

彼らのような批判をすれば、いわずもがなだが、「言論の自由」を制限することになる。まさに憲法違反である。その点については、私は憲法や法律の専門家ではないので、踏むこまないし、踏み込めない。

それも大いに問題であるが、むしろこの批判の問題点は、論者が人間の本質を捉え違いしていることにある。人間というものは演技をしなければいけない生き物である。常に何かを演じて暮らしているのである。教師は、教育者としての立場で生徒や学生にものを言うわけで、素の自分を見せていいわけではない。生徒や学生の前で、「お前らなんか馬鹿なんだから、勉強しても無駄だ」などとは決して言ってはいけない。それと同じで、新聞社の人間も演技をせざるをえないのである。サラリーマンならサラリーマンの演技をするし、父親なら父親、母親なら母親の演技をする。人間は自分の立場を考えて、演技をする生き物であり、それが社会を維持するために必要不可欠なものなのである。もし演技をしないのであれば、それは本音しか語らない幼稚で未熟な子供と同じである。

もし新聞社の高給取りの社員が本音を語れば、愚民を軽蔑するだけの論調になるだろう。政府に対して、庶民から税金を搾り取っても、新聞社からは税金を取るな、と言うかもしれない(消費税の軽減税率に関してはそう主張し、実現してしまった!)。そんなふうに誰もが素で語る子供になってしまったら、その子供の論理によって社会生活が破壊してしまうかもしれない。

国会議員の本音も、「俺達の給料だけ維持してくれれば、国民のことなんかどうでもいいんだよ」という程度だろう。しかしながら、それを有権者の前で言わないのがお約束だ。有権者は、議員たちの本音はわかっている。そのくらいの理想しか抱いていないのが議員であるということは知っているのだ。しかし、有権者も、理想的な社会が実現される希望を抱いているふりをして、議員を支援している。有権者は大人だから、自分たちの主張が100%通るとは思っていない。

そんな単純な仕組みがわからない論者は、もしかしたら読解力がないのかもしれない。誰かの言葉を文字通りにしか受け取れない人が増えてきていると言われることが多くなったが、マスコミに関わる論者もまた、子供の論理を振り回す側の人間だとしたら、それこそ社会崩壊の危険な徴候と受け取るべきかもしれない。