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物欲が失われてきています [雑感・日記・趣味・カルチャー]

数ヶ月も続いている自己隔離生活の間に、私の物欲(消費意欲)はかなり減退しています。

もちろん、食べ物や生活に必要なものは買いますけれど、不要不急のものであったり、贅沢品などはまったく買わなくなりました。2月に楽器(チェロ)は買いましたが、ヤフオクで1万円で落札したものですから、他人に自慢できる買い物ではありません。

私の場合は、実のところ、目下お金に困っているわけではありません。失業者があふれそうになっている中で、私は比較的恵まれている方かもしれません。そんな私でも物欲がなくなってきています。もしかしたら、世界中がそんな感じなのかもしれません。

しかし、物欲がないことは、環境に優しい生活を実現できる可能性を与えてくれています。これまで我々は環境に優しい生活を送らなければいけないと刷り込まれてきました。ゴミの量を減らせとか、化石燃料を使いすぎるなとか。しかし、意識の高い人ではなければ、そういう生活はなかなか実現できませんでした。それが、コロナ禍によって、エコ生活が実現できてしまったのかもしれません。

冷静に考えてみれば、我々は無駄な買い物をしたり、無駄な移動をしていました。週末しかクルマに乗らない人なんか、クルマを買う必要はありませんでした。海外旅行だってまったく必要ありませんし、国内旅行でもせいぜい近所の日帰り温浴施設で十分です。観光地なんか行っても、なんの勉強にもなりませんし、食べ物だって観光地価格で無駄に高くて、まずいものばかりです。無駄の極地です。

自粛生活の送る我々は、そんな無駄なものに触れることもできず、それに対する関心や憧れさえも失っています。結果的に、環境に優しい生活を送っているのです。

フランスの哲学者のジャン・ボードリヤールは、人は本当に必要なものだけを買うのではなく、他者との差異を生み出したいがために消費するのだと言っています。消費は単純にお金と自分が必要とするモノの交換ではなくて、自分の欲望を満たす行為であるということです。しかも、その欲望は、他者が欲望するものを欲望していると喝破したのがボードリヤールのすごいところです。簡単に言うと、人はたいていの場合、自分軸ではなく、他人軸で消費しているということです。誰かに自分が優れていることを示したいがために、無駄なお金をかけて海外旅行をしたり、高級外車を所有するわけでです。本当にその国について知りたいという意識があるのか、そのクルマを誰かにけなされても愛することができるのか怪しいものです。投資家は、自分が買いたい銘柄ではなく、他の人が買いそうな銘柄を買う習性があると言われますが、あれも同じです。自分が応援したい企業の株式を買う投資家など、ほとんどいないのでしょう。そういう姿勢を当然のものとしている生き方で良いのでしょうか。

現代人は、ある時点から、ボードリヤールの言うような他人の欲望を消費する生活をはじめました。それがポスト資本主義です。もしかしたら、そんな無駄があふれかえるポスト資本主義の時代は終焉が迫っているのかもしれません。1980年代末、ベルリンの壁の崩壊とともに共産主義が終焉しましたが、今回は、一度勝利したかに見えた資本主義(ポスト資本主義)が終わる可能性があります。われわれはソーシャル・ディスタンシングが要請される自己隔離生活の中で、他人の欲望を消費する必要がないということに気づいてしまったからです。フェイスマスクを常用していれば、美男美女である必要も、化粧をする必要もありません。実現しそうになっているのは、そういう自分基準の社会です。少なくとも、人間にとって本当に必要なものとは何かを考え直すべき時代が来ていることだけは確かでしょう。