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多読は無意味【精神科医・樺沢紫苑】 [資格・学び]



英語の教員の中に「多読」を勧める人がいます。樺沢先生のおっしゃるとおり、本の内容を要約して他人に説明できたり、それについて議論できるレベルで読んでいないのであれば、時間の無駄だと私も学生たちに言っています。英語だろうが日本語だろうが同じことです。多読(や多聴)は単語や表現を文脈の中で覚えるのに効果的だと主張したい気持ちはわかりますが、効果はまったくないでしょう。

去年そんな話を学生にしたら、私を貶めようとする卑劣な学生が多読を勧める教員に告げ口をしました。その教員に呼び出され、事情を聞かれた次第です。学生の書いた文章を読むと、単なる誹謗中傷でしかありません。あることないこと週刊誌レベル以下の根拠もないし、矛盾だらけの内容でした。担当の先生もその学生のアホさに呆れていました。世の中には、そういう人間として最低なヤツがゴロゴロいます。

クラスのレベルからわかるのですが、英語もろくにできない馬鹿ですから、私の話の文脈や意図もまったく理解できなかったのでしょう。そんなやつにとって本を読むこと自体意味がないと思います。ましてや多読なんか、時間の無駄でしかありません。猫に小判、豚に真珠、犬に論語です。地獄へ堕ちろ、クソ野郎が。

「多読」だとか「多聴」だとかという忌々しい言葉を使うヤツが現れると、本当にイライラします。樺沢先生のおっしゃるとおり、多読だけして、アウトプットしないのは、100%無意味だというのが常識になってほしいです。クソ忌々しい。