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小津安二郎監督『東京物語』(1953年) [映画]

この映画を観るのは3度目です。一瞬一瞬が愛しく感じられる作品です。コロナ禍で観るべき映画ということで、ガーディアンだったか、BBCで取り上げられていましたが、私もその考えに大賛成です。いろんなテーマが盛り込まれていますが、年齢のせいか、とりわけ「親の心子知らず」「親孝行 したいときには親はなし、さりとて、墓に布団は着せられず」というテーマは心に深く沁みました。

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子どもたちを訪ねて、尾道から東京に出てきた老夫婦が、邪魔者にされ、熱海の温泉に追いやられてしまいます。当時の熱海の宿泊客は若い人たちばかりで、流しの歌が聞こえ、遅くまで麻雀をしていて、深夜になってもゆっくり寝られるものではありません。そのせいか、おばあさん(東山千栄子)は堤防から立ち上がるときにふらっとしてしまうのです。

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おじいさん(笠智衆)が笑顔で「とうとう宿無しになってしもうた。」という場面です。この映画の撮影当時は笠智衆さんは48歳か49歳です。いまの私より若いですが、本当に老人に思えます。

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ハハキトク

東山千栄子は62か63歳でした。完全に釣り合っています。作品の中では68歳という設定です。大往生だとも言われます。70年前はそんなものだったのでしょうか。いまの68歳は人生はこれからというような感覚です。

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「きれいな夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ。」

改めて見直して、カチッと構築されている作品であることがよくわかりました。場面構成が完璧です。画面の構成もそうですが、時系列的にもシンメトリカルにできているという意味です。

小津作品の中でも、『東京物語』が世界中の映画ファンから愛されるのは当然ですね。

小津さんは、フェイドイン、フェイドアウトは使わなかったそうですが、その代わり、この作品でも、同じような煙突や瀬戸内海を通過する船が映像を差し挟む手法が取られています。観ている者の感情を鎮めてくれるもののような効果があり、小津の優しさを知ることができます。

東山千栄子は、Wikiによると、高貴な生まれな方なのですね。「生家は代々佐倉藩の城代家老を務めていた」と書かれています。「富士見高等小学校高等科2年を終えて華族女学校に入学し、1907年(明治40年)の卒業後は仏英和女学校(現・白百合学園高等学校)でフランス語を学」んだそうです。



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