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「対面授業再開」による混乱状態 [資格・学び]

私大文系の「数学不要論」を打ち消す早大の快挙 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

論理に基づく数学的発想ができないと物事がよく見えないことは明白です。私ももっと数学の勉強をしておけばよかったと今更ながら思っています。昨日も書きましたが、英語の教師になるくらいなら、中学や高校の数学の教師にでもなればよかったと思います。発想がシンプルであればシンプルであるほど美しいというのが数学の魅力です。

大学で「対面授業再開」が進む一方で学生・教員たちが直面する「新たな混乱」 | マネーポストWEB

こうなることは100%予想していましたが、私のようなバカの思った通りになっていることが笑えます。これで日本人は私よりもはるかにバカだらけなんだということが証明されたわけです。私がクズなのに、もっとクズだらけだったら、そりゃあ、政治は腐るし、産業は衰退し、国家は疲弊するよなあ。貧すれば鈍すのはアタリマエのことです。絶望しかありません。

ヤフコメ(ヤフーニュースのコメント欄)を見ると、いまだに、学生の保護者は高い学費を払っているのに、大学はオンライン授業で通信教育みたいな授業をしている、大学は我々をバカにしているとか偉そうに言っている人がいます。何も事情を知らない人なのでしょう。実際のところ、大教室の講義はオンラインですが、語学の授業は対面授業になっているところが多いです。(語学の授業は発話することが基本なのに、学生に質問をするな、なるべく発話させないようにしろと指導されています。対面なのに、マスクで顔が見えないというのもおかしな話です。)さらに、ハイブリッドの授業というのも行われています。通常の対面授業の様子をzoomとwebカメラを通して学生のパソコンに中継するだけです。そっちのほうがはるかに馬鹿にしていると思います。

対面なら対面、オンラインならオンラインでやるべきです。どんなことでもシンプルなスタイルが一番良いのです。ハイブリッド(雑種)は最悪です。現在、大学単位、授業単位でやり方がバラバラになっています。教える側も学生も大混乱です。学生の方も教員によってオンラインだったり、対面だったり、ハイブリッドだったり、混乱しています。各大学の事務方も日本語とは思えないメールを教員や学生に大量に送りつけてきて、後で変更や訂正、追加をしたりします。昨日もそうでした。そんなものは全部覚えていられません。教員だけではなく、学生の方もやっていられないという気持ちでしょう。

キャンパス内で迷子になっている学生もいるくらいなのに、授業の形態もめちゃくちゃだし、さらにいえば、大学のポータルサイトだけではなく、オンライン授業用のLMS(Learning Management System)が2つも3つもあって、どこを利用すればいいのかさっぱりわからない状態です。教員がわからないのに、学生にわかるはずがないのです。事務方が勝手に決めたことを教員や学生が従わなければいけないのですが、事務方がわかるから、教員や学生もトラブル無しで授業ができるだろうと思い込んでいるです。そんなことは、ありえません。

実際、今週、リアルタイムのオンライン授業とハイブリッドの授業をしましたが、対面のみの授業以外は、ともに大失敗でした。機械の操作がわからなかったのです。ハイブリッドの授業では、ウェブカメラのコードが短くて、ホワイトボードがオンラインの学生に見せられませんでした。またカメラを固定できなかったので、私自身も下半身としか映らない状態でした。ひどすぎます。そんな授業を受けるくらいなら、対面授業一本にすべきです。いやなら、オンラインのみにしたほうがいいです。

また、対面授業をすべきという文科相の命令や世論を受けて、大学は対面授業に踏み切りましたが、教員も私のように基礎疾患を抱える者もいますし、家族に高齢者や持病がある者もいます。学生もそうです。したがって、対面授業をしたいのは山々ですが、感染拡大が収まらない限り、それができない人もたくさのいるのです。大学は怠慢だとかヤフコメに書く人がいますが、想像力があまりになさすぎます。

学生の青春を奪うなという考えもわかりますが、教員や学生の命を犠牲にするな、という考えもわかってほしいです。教員にも家族はいるのです。教員は犠牲になってもかまわないが、学生や保護者は犠牲になってはいけないという差別が許されるのでしょうか。

差別といえば、いつも気になっていることがあります。何ヶ月か前に書いたことです。昨日も小池都知事は「エッセンシャルワーカー以外は東京に来ないでください」という趣旨の声明を出していましたが、「エッセンシャルワーカー」という言葉は不用意に使ってはいけないと思います。「エッセンシャル」というのは、不可欠という意味ですから、「エッセンシャルワーカー」とは我々市民が日常生活を送るために必要不可欠な仕事をしている人という意味で使われているのでしょう。しかし、おそらく小池都知事は医療従事者のみを念頭においていると思われます。一般の会社員や店の従業員は不必要だというわけです。これは差別です。差別は良くないと言っている人たちが、こういうダブルスタンダードを頻繁に使います。学生は大学で授業を受ける権利はあるが、教員は死んでもいい、というのもダブルスタンダードです。教員が死んだら、いつでも交換可能だという発想がそこには隠されています。これは差別であり、人権問題です。

こういう根本的な問題に配慮できない、想像力のなさ過ぎる人が、偉そうに、誰々はこうすべきだ、ああすべきと、自分の考えを無思慮かつ無責任に押し付けるのです。ヤフコメを見ていると、ほぼ100%そのタイプです。奴らは私以上の人間のクズです。

そうそう、昨日も37℃の発熱で授業を休みますという連絡が学生から入りました。どんどん外堀を埋められているような感覚です。直に私も感染して、重症化して、死ぬんでしょう。そのときはありがたく業火にあぶられて、地面に埋めてもらいます。いまのうち家族と、私の葬式の段取りを決めておこうと思います。

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