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視界にギザギザの光 [雑感・日記・趣味・カルチャー]

視野の端にギザギザの光が見える現象を「閃輝暗点」と言います。私はコロナ禍が始まる前にたびたびその現象が発生し、もう死ぬんじゃないかと思ったこともあります。このギザギザの光は、芥川龍之介が『歯車』の中で書いたことです。この「閃輝暗点」を気に病んで、自殺をしたという説があります。

「閃輝暗点」は、いつ襲ってくるのか予測ができるものではありません。コロナ禍前のことですが、授業中に教科書を読まなければいけない時に目の前に眩しいギザギザが漂い始めると、そのせいで、字が読めなくなるということがありました。ストレスがマックスになっていたのでしょう。ストレスの原因は、いろいろありますが、大雑把にいうと、家庭の問題や仕事の問題です。

当時、私は「閃輝暗点」だけではなく、偏頭痛にも、ひと月に1回以上は悩まされていました。

ところが、コロナ禍に入ってからというものの、「閃輝暗点」とも偏頭痛とも無縁になったのです。コロナ禍に突入し、行動制限を強いられ、強烈なストレスを感じた人たちが多かったという報道がありますが、逆に、私はコロナ禍のおかげで、他人との距離が広がって、だいぶ気分が楽になりました。ストレスが軽減されました。年度末に行われる大学のFDミーティングが嫌で嫌でたまりませんでしたが、堂々と休めるようになりました。このまま他人とあまり関わらずに、関わってもドライな関係を維持できればいいなと思っています。

人間はむだに仲良くしようとするから、ストレスが発生するわけです。場合によっては、誤解から諍いに発展する場合もあります。それを防ぐためには、どんな状況も、感情抜きで、ロジカルに、そしてビジネスライクに行動することができるようにならなければいけません。そうすれば、他人に煩わされず、自分のことだけ考えて生きていけるはずです。

他人に興味を持つというのは、究極の時間の無駄遣いです。芸能人のゴシップとか、どうでもいいことです。ところが、うちの妻はそういうのが好きらしいのです。妻は朝の情報番組が大好きなのですが、私は大嫌いです。夕方だって、いつテレビをつけてもニュース番組を謳いながらも、CMしかやっていないので、すぐに消してしまいます。だから、世の中の事件にも疎くなっています。

一方、妻は芸能人の不倫とか、殺人事件に強い興味があるようで、そういう話をされても私は困惑するだけです。だから、ドライブに行っても、車内では妻は私に話すこともなく、結局、いつもと同じ内容の愚痴と近所の人の悪口だけになるのです。妻は話題が貧困だし、ネガティブなことしか言わないので、話をしても、あまり楽しくありません。次男は、受験勉強が終わったばかりですから、いろんな知識を詰め込んだ状態です。私が歴史についてなにか質問すると、ぽーんと一言二言面白い答えが返ってきます。そういうふうに話題が発展してくれると楽しくなるんですけどね。妻は私を嫌な気分にさせることが得意なのです。

結局のところ、世の中に溢れかえる「つまらない人」というのは、生産者ではなく、ただの消費者なのでしょう。与えられたものをパクッと食うことだけしか考えていないのです。何か美味しい餌はないかと探しているので、餌の中に鉤が隠れていることが見えず、骨髄反射的に餌に食いつくので、いつでも釣り人に弄ばれるか、胃袋に収まってしまうのです。

私はいつも話が横道にそれてしまいます。「お酒も飲んでいないのに、酔っ払っているみたい」と私を形容した妻の言葉は、言い得て妙ですね。



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